2015年10月14日水曜日

漂流のツール



人間には漂流する時期というものが必要だと思っている。自分が海外稲作プロジェクトでサポートしたいのも、人間のそういう時期である。

今でこそこんなワケ分からない感じだが(笑)、自分こそこの社会でゴリゴリにカタに嵌められた人間だった。

それにうんざりしつつも降りるに降りられなくて、カタどおりにやってみせればいいんだろ、と冷笑することで自分を保っているつもりだった。カタに本当には侵されていないという自己主張だった。

やってみせればいいんだろ、なんて態度は実際にはただの自暴自棄だし、そんなものすぐ分かりそうなものだが、それを見るのがコワいので見なかった。

ホントの瞬間はいつも~死ぬほど怖いものだから~♪って歌があったな^^;

そのホントの瞬間を”軽やかに”無視するのが強さだと思っていたし、それが押し付けられた現実への最後の抵抗でもあった。

何にも心を揺らせぬようまともに反応せず笑い飛ばす。それが何かは分からないが何かを相手にしないようにする。

そうして自分を守っていると、何かに身体が反応するということ自体が失われてゆく。

子どもの頃から新しい経験を何度もしているのに、心を揺り動かすこともなくそれを捨て続けたような人間は、「いろんな新しい経験をする中で身体が反応する」こと自体をやり直さなければならない。「それを許す」ことを覚えるのだ。レリゴー♪

それは自分を生きる上でクリティカルだ。

だから漂流のためのツールはSNSだろうとLCCだろうと英語だろうとビットコインだろうと全部重要だと思っている。”バリでお米作りに参加できる?面白いかも。。”というのもそう。

あらゆるものは、自分を自由にするかどうかで重要さが決まる。

英語について言えば、自分はノンネイティブの人とはストレスなく話せる。ネイティブ・スピーカーが自然に話しだすと全然ついていけない(^_^;)

でもまあ外国に行っても、英語が通じりゃなんとでもなるか!と思えるくらいにはなった。

農地探すためにいろんな人に会いに行ったから、とにかくその場では何とかするしかない。人間、もう話すしかない!と追い込まれたら力が出るもんだ。

当時は今とテンションが違って、こんな社会をなんとかせねばならん!という使命感で勝手に追い込まれてたから(笑)、それもある意味よかったのかも。

英語やLCCなんかも、そのうち役立ちそうなことをちょっとまとめようかな。


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