バリで自然農米作るんだと意気込んでいた自分が、導かれるままに、としか言いようのない感覚の中で今はカンボジアで都会生活をしていて、我ながらそれで何の違和感もないのが、日本の秋のように心地よく、日本の正月のような身の引き締まる感じのないカンボジアのニューイヤーとあいまって、なんだか不思議な感じでもあります。
去年はカンボジアの若いITびとに様々なフィードバックをもらい、アーキテクチャ概念の理解を深めた年だった。
アーキテクチャはブランド論のブランドネームに似て、技術と戦略とコミュニケーションそれぞれの理論を架橋する可能性がある。
そのコミュニケーションの部分が自然農と深く重なり合う。ファネルを通過させて家畜を囲い込むような近代マーケティングではなく、落とした水滴から波紋が広がるような戦略。
有象無象のクラウドから絞るのではなく、一人ひとりから立ちのぼり広がる。その固有が固有を生み出す様を浮かび上がらせるのはやはりそれぞれ固有のnatureでしかない。
自然農とパーマカルチャー思想の比較から見える自然観の違いは、マーケティング観の転換とも深く関わる。社会的水準ではコミュニティと共同体の概念的変遷や峻別が重なり合うのかもしれない。
それらのすべては”客観的”な戦略マップではなく自分の心をモデルに内在させ世界・社会と循環させる、セカンド・オーダーのサイバネティクスの潮流の中にある。創発の中の相関と循環のそのまた中にすべてがあるなら、その系の中にアーキテクチャをめぐる概念も整理され得る。
個人的関心である「ITを活かして自然農を広める」ということはどういうことで、どこから来て、どこへゆくのか。それぞれの抱える関心や思いとは何であるのか。
サイバネティクスの言うフィードバックそのものを観察し、そのために観察する自分を観察する。
出発点である感覚を轢き潰さずしかし捉え直すために視点は一段メタに上がり、旧来の論理階型ではより現場に近い実践的個別論への塗替えや書き換えが起こる。少なくともその作動は止まらないと思う。潮流とはそういうことだ。
そこではそれぞれが結局それぞれでありつつ、それぞれであること自体は一般化される。それは例えば東ティモールのパーマカルチャー政策やその推進者たちの、先人から受け継いだ独立の態度に見て取ることができる。
今年飛躍した仮想通貨はこれから旧い盲目の潜性力と、フィードバックを回復しようとする諸力のせめぎあいの場となる。
それぞれがセカンド・オーダーのマーケティングをそれぞれに深め、オートポイエティックな作動として/とともに共存してゆけるかが、来たる年も、もっと先の未来も占うだろう。
ITに限らず技術と戦略とコミュニケーションは客観ではなく自分を起点に、互いを互いに前提し合いながらアーキテクチャ、あるいはそれらをめぐる場とそれに付く価値を帯びた、ブランドめいた名を現象させる。
あるいは別の切り口や起点も想定可能で、結局それは感覚が導く主観であり循環なのだ。それに自覚的になることが無限の沃野を切り開く、というのが情報学の言う情報学的転回 informatic turn である。
マーケティングとイノベーションは企業の専売特許ではなく、それはそれを支えるものに支えられていて、私たちはそれを共同体の手に委ねるわけにはいかない。それは無限あるいは南無から来て、それぞれの私たちを支え導き、共感させる。
明けましておめでとう、今年もよろしく。
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返信削除にコメントしたんんですが反映されてない様なのでこちらから失礼します。
現在プノンペン長期滞在中で各記事大変参考になります。
ほとんど同様のゲストハウス生活していますがまだ遭遇してないですね(笑
情報交換兼ねてお茶か食事でもご一緒にと思ったんですがご都合如何でしょう?
Hamaya