2015年9月30日水曜日

バリを安く移動して泊まって食べる!~サヌール編~



そんなわけでクタ編の続き。
サヌールに格安で行って泊まって食事するの巻!

サヌール・ビーチはとてもきれい

今回は


についてまとめます。

■クタからサヌールへ

クタからサヌールへは、空港からクタへの移動で使ったのと同じ公共バス・サルバギタを使えます。
というか同じバスがサヌールを経由してバトゥブランまで行きます。

なのでクタ行きで使ったのと同じデワルチ像近くのバス停から乗れます。
移動前夜はGong Coner 2に宿を取っておくとバス停まで歩いて行けます。

そしてバトゥブラン行きに乗れば、途中にサヌールを通ります。

サヌールも広くて、いくつかバス停があるんですが安宿が近いのはTirtanadiというバス停。
ングラライバイパス沿いで、Jl.Danau Posoの北あたりです。確かサヌールのエリアに入って2つ目くらい。

ここを乗り過ごすとだいぶ北まで行ってしまうので注意。

■サヌールの安宿

ここからバスの進行方向に歩きます(クタから来た場合ね)。

信号のある交差点を過ぎ、しばらくすると左に入れる道があり、「Big Pinapple Backpackers」というホステルの看板が出ています。

このホステルでもいいんですが、オススメは別の所です。

この看板のところでバイパスを向こう側に渡ると、Jl. Sudamalaがあります。
そのままJl. Sudamalaを南に進んで、Jl. Danau Posoを渡って行くとCafe Loccaというホステルがあります。

このホステル、ドミトリーがハイシーズンで100,000ルピアくらい(朝食は無し、オフシーズンはもっと安い)なんですが、元々もっといいホテルだったんじゃないかな?

広い部屋をドミ部屋にした感じ。部屋付きのバスルームは広々で、なんとバスタブがあります。

まあお湯ためて入る人を見たことないですが、、そしてためさせないためかシャワーもかなりぬるいんだけど(笑)、ちょっとした高級感。

部屋の前のガーデンもいい感じで、プールまであります!

Cafe Loccaのガーデンとプール

大きなロッカーとWiFiもあり便利で、サヌールではここと決めています。
ビーチも徒歩圏。

なおちょっと触れたBig Pinapple Backpackersですが、ここも悪くはなさそうです。
泊まりませんでしたが聞いてみたところ一泊100,000、朝食なし、コーヒーとお茶無料、プール付き。

Loccaに比べてちょっとだけ高いのと、やっぱあのガーデンの心地よさで自分はLoccaかなあ。
周辺も便利だし。

■サヌールのレストラン

さてCafe Loccaの周辺ですが、歩いてすぐのDanau Poso沿いに大好きなナシチャン屋さんがあります。

宿から北に歩いてDanau Posoに差し掛かったら渡って左に見えてます。
ご飯どきは外人で結構賑わってるので分かるかも。
わたくしと同じBinboの民なのであろう( ̄▽ ̄

やはりツーリスト価格になりがちなサヌールにあって、ここは10,000前後で食べることが出来ます!

肉なしであれば、ご飯にサユール(野菜)2種とオムレツつけてなんと8,000ルピアです。
テーブルに置いてあるスイカは2,000ルピア。ありがたやありがたや。

8,000ルピアのベジご飯!

タンブリンガンの南の端もぜんぜん徒歩圏なので、賑やかなエリアも宿からすぐです。
高いですがそのへんだとMassimoのパスタがアルデンテで良いですなあ^^


Massimoのパスタはちゃんとアルデンテ^^

■30円バスでサヌールへ行こう

というわけでサヌールはサルバギタがそこそこ便利なところに停まるので、これを使わない手はありません。

ちなみにクタとサヌールの間にはSerangan 2というバス停があり、そこはロッテ・マートの真ん前です。
車掌さんもロッテ・マートんとこだよーと教えてくれます。

たぶんロッテは韓国食材があると思いますので、手に入れたい方もサルバギタ、便利です^^

しかしサルバギタも予定ではもっと路線が増えてるはずなんですが、利用者が増えないのかなかなか今のヌサドゥア-バトゥブラン線以外は運用開始にならないようです。

みんな原チャリで動くもんねえ。

でもバリも渋滞はだいぶ問題になってきて、そのうち車の床面積が道路の面積を超えるんちゃうかという話も聞いたりします。

外人は長くいようとするとどのビザでもイミグレに定期的に行かんとあかんみたいなので、住んでる人の多いサヌールやウブドからデンパサールに便があればだいぶ乗ると思うんやけどなあ。


各地点の位置関係はこんな感じ♪

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2015年9月28日月曜日

バリ島クタのローカル・エリア、Mataram通りで安くおいしく食べる!



前回はローカル・バスでの空港→クタ移動についてでした。

ローカル・バスのバス停近くは微妙に中心から外れていますが、そのかわりクタで最安の安宿Gong Corner 2があります。

またそこから歩いてすぐのJl.Mataramはクタのローカルなエリアです。
ローカルなのでレギャン通りのツーリスト価格からは考えられない安さでご飯が食べられるのです。

例えばナシ・チャンプルーなら10,000ルピアくらいで食べれます。
現在(2015.9月)のレートで約82円ですよ奥さん!!

1万ルピアのナシ・チャンプルー(ピンぼけ)

クタ中心部の某・日本食屋で食べたカレーが実に70,000ルピアするのと比べると、いかに安いかが分かります(笑)実に7倍(^_^;)

7万ルピア・カツカレー。味はまあ、普通( ̄▽ ̄

また去年になりますが、Jl.Mataramを北の方に上がっていって突き当りの通りで5,000ルピアのナシ・チャンプルーのパケット(紙や葉っぱで三角にしたお弁当)も買ったことがあります。



ナシ・チャンパケットはこんな感じのやつ。紙のパッケージも多い。

ただ、Jl.Mataramもちょっと前に比べて徐々に開発されてる感じで微妙に賑やかになってきました。


レギャン通りを思わせるちょっとオサレな店もぽつぽつと。


なのでいつまでこのローカル価格を維持できるか微妙かも。
自分的にはやはり寂しい。

行くならいまのうち!かもしれませんね ;)


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バリを安く移動して泊まる!~空港・クタ編~



これまでいろいろ旅して回って、安く動く方法も身についてきた。
ので、その記録も兼ね旅のTipsなども書いてみたいと思います。

インドネシアをあちこち動きまわってつくづく思いますが、バリはけっこう交通費がかかります。

空港からクタエリアまで出るのもタクシーじゃ5万ルピアくらいはするのです。
バイタクでも交渉して2万というところ。

そこでローカル・バスですが、こっちはローカル向けなので旅行者にはバス停の場所が微妙で不便です。
中心地に行こうと思ったら大荷物持ってけっこう歩かなきゃなりません。

なのでその不便なバス停から楽に歩いて行ける宿も必要になるのでした。

そんなわけでバリの数少ないバスを使って、不便なバス停から近くのクタの宿を渡り歩いて楽に賢く動く方法を考えてみました。

シャトルやタクシーでいいというセレブな方にはいらない情報かも(^_^;)

■安さはピカイチ、トランス・サルバギタ

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そんなわけでその不便なバスですが、トランス・サルバギタって青いバスご存知でしょうか?

けっこうネットでも紹介されてる、どこまで乗っても3,500ルピアという超安のバスです。

格安なのにエアコンも入っていて快適でもあります。


青く大きなバス、トランス・サルバギタ

自分はよくクタやサヌールからバトゥブランまで乗ったりしますが、あれだけの距離でも3,500!

プラマのシャトルだとクタ-サヌールで25,000ルピアですから、その安さが分かろうというものです。

ちなみに運行時間ですが朝の5時から夜9時までというのを聞いたことがあります。
自分は朝は7時台、夜は18時台のバトゥ・ブラン行きに乗ったことがあります。

あとヌサ・ドゥア方面のほうがなんとなく本数が多い気が。。
そっち方面だと8時半くらいに空港で見かけたことが。

さてクタはこのサルバギタを使うと安いんですが、バス停がツーリストには微妙な位置にあり


「外人はタクシー使って金落とせ」


という当局の強い意志を感じます(笑)

私のような貧ぼ…バジェットトラベラーは、これに負けじとうまく使いこなさねばならないのです。

■ングラライ空港からクタ、そして安宿へ

空港からは上記のサルバギタが出ています。Internationalターミナルを出た、タクシーとか溜まってるところの向こうのレーンに着ます。

ヌサドゥア方面とバトゥブラン方面の2種類があり、クタに出るにはバトゥブラン行きに乗り、「デワルチ」というバス停で降ります。

乗るときに車掌に言っておけば教えてくれると思います。

ここからは歩きです。
クタといえばやはりレギャン通り近辺に泊まりたいところですが、デワルチからはちと遠い。
荷物抱えてるとなると尚更です。

そこでオススメの宿が、Jl.Mataramに交差するJl.Suli沿いのGong Corner 2

このGong Corner 2、デワルチとレギャン通りの間くらいにあり、歩いて行きやすい距離にあるのが私のようなタクシーを使わないと心に誓った人間には素晴らしいです。
そして少し外れたエリアだけに安い!

シーズンによりますが、ハイシーズンだと100,000ルピアくらい。
今回私が泊まった9月中旬だと、もっと安くで泊まれました!ちなみに朝食付き。

ドミトリーになりますがエアコンもWiFiもついていて、ロッカーもあります。


■ローカルエリアでリーズナブルに

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そんなわけでまずはGong Corner 2でいったん荷物を降ろし、もっと中心地がよければ次の日に移動というのが私のお気に入りのパターンです。

でも最近は面倒でクタはずっとここにいる。。(^_^;)

去年ポピーズのロスメンで盗難に遭ったこともあって、中心地コワいし( ;∀;)

そんなわけでサルバギタ、安い分だけ不便でもありますがそれを逆手に取れば(?)、ちょっと外れたエリアで安く宿泊できます。

レストランもこの周辺はとても安いです。

私の同族の方、タクシーで便利に中心地いくよりぜんぜん金かからんやん!という感動をぜひ体験してみて下さい(笑)


各地点の地図はこちら :)



✓agodaで東南アジアの宿は格安に♪
この記事で紹介した安宿、Gong Corner 2 は予約サイトのagodaから予約すると格安で泊まることができます。

サルバギタのバス停からギリ徒歩圏で、クタでおそらく最安です。
しかも朝食付き!

旅先で宿泊費は毎日絶対にかかるもの。
agodaを使うかどうかで旅のコストはかなり変わってくるので、よかったら試してみてね ;)

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2015年9月26日土曜日

自然農はバリに通用するのか?!



去年はウブド近郊の自然農園でお世話になり、田んぼをやらせてもらいました。

前回は籾から育てて田植えまでいったところでタイムアップ。

自然農田んぼで、雑草とともに気持ちよさそうに植わった苗。かわいすぎる(^o^

その後は農園主さんに引き継ぎ、いったんバリを離れたのですが、それでもものすごい経験になったなあ。

日本で学んだ自然農をこっちで試して見るぞ!と意気込んでやってきたのですが、やはりまったく風土が違い、そのままではじぇんじぇん歯が立ちませんでした。

最大の問題はアリンコ。そしてその次に土。さらに草!!

日本は冬が来るので、そこで虫の類はけっこう死んでしまいます。植物も基本的に枯れてゆく。
しかしここは南国、年中夏!虫と草のアグレッシブさがそれはもう違うのです!!

日本の自然農では、田植えは一本植えです。稲自体の強さを引き出し、分けつを促すということなのですが、1本でどんどん分けつする強い苗が前提です。

その強い苗を育てるため、自然農の苗床は畑苗です。

水を張らない畑に籾を巻き、鳥対策で草や小枝を上からかぶせておく。

しかしこれでは虫の対策はできません。なので日本でもオケラなんかはけっこう自然農者を悩ませます。勉強会とかでもあまり有効な対策を聞いた記憶がありません。

でもまあそうはいっても全部が全部食べられたりとかはしないわけです。

しかしバリではそこが違う!!

アリンコが、もうあのアリンコが、ほんっとーーーーーにアグレッシブなのです。
自然農らしいと自己満足していた畑苗床

草なんて被せといたところで、一晩明ければ魔法のように全部消えてます。

見事なまでに籾が全部消えている!
最初分かんなくて、あれ?あれ?と土をかき分けたのを覚えています。狐につままれるとはあのことでありますわ。

その後ちょっと芽が出たら喰われないよーという農園主さんの言葉を信じて芽出しだけ別でして畑に置いたりもしてみたのですが、まったく対策になりませんでした。やっぱり持ってかれる。

しかもやつらは籾の部分だけがほしいので、ちょっと出た芽の部分なんていらんわけです。なのでその芽をぶった切って籾だけ持って行きやがります!
籾を蒔いた次の日草マルチを開けて、生首のごとく芽だけが散乱してるのを見た時の俺の気持ち(><



ちなみにバリ式では水でお堀を作って、その中に柔らか目の苗床を作って籾を広げておきます。水で蟻の侵入を防ぐわけですな。
正しいバリ式苗床。日が強いので籾が焼けないようカバーを被せる。
タイなど似た気候のところでは、蟻がいたらまずバーナーで焼いて、やはりお堀で囲うそうな。

いろいろ試しましたが、結局ちゃんと苗になったのはバリ式。毎日水が切れないよう見守り続けるしかありません。

ちなみに今年はバリ式と畑苗の折衷方式を試してみようと思っています。

苗床自体はもうちょっと乾いた畑状態、でバリ式にお堀で囲うかんじ。

前回はアリ以外の問題はそんなになかったように思うのと、籾が古かったせいもあって1本苗できるような立派なのがあまり育たなかったんですよね。乾季のバリのカンカン照りのもと、日本と同じに畑で育苗というのも疑問だった。

ちなみに立派なやつだけ1本植えで、ほとんど2,3本植えにしました。

今回は新しい籾でやるのと、乾季は過ぎてるので畑状態でやってみてもいいのではないかと。

それだけだと全滅するとイヤなので普通のバリ方式も平行してやろうと思います。

そんなわけで待っとれ蟻!!今度は負けんぞ!!いやでもできたら待たずにどっか行っててくれ!(笑)

てゆーか蟻の話だけでえらい長くなってもーた。土や草の話もまた書こうと思います(^^;)
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2015年9月25日金曜日

希望の苗を植えていこう(2)



そんなわけで前回の続きです。

東京近郊で始めた稲作プロジェクトが2年目を迎えこれからというとき、あの震災が起こった。

田んぼをやっていた地域は原発から200km以上は離れていたが放射能のホットスポットとなり、みんなで集まって食べ物を作るとかとてもじゃないが意味が分からなくなってしまった。

それはある意味で東京でうんざりしながら現状維持のまま流されていた、自分の生き方の合わせ鏡のようだった。ホット・パーティクルには放射能だけでなく、この社会が詰まっていると思った。

かなりの葛藤があったが、プロジェクトは中止した。俺といういい大人が、流されるままに言い訳して生きてきたのだ。それとこれとは無関係ではない。現実逃避を重ねてこの事態を招いておいて、さらにその上塗りをするわけにはいかないと思った。

元々その年、世界のエコビレッジを周る予定だったのだが、同時に同じような活動をできる場を求めて放浪が始まった。西日本や東南アジアの高原農地を探索するうちに、旅自体が楽しくなってきてバックパッカーみたいにもなった(笑)

バッパー旅でいったキルギス秘境の湖。もはや趣旨変わっとる(笑)
で、その中でたどり着いたのがバリだった。東南アジアも日本も、けっこう固有の文化は失われていて、その土地らしい町並みというものがあまり無いように思う。日本だと倉敷や内子、小布施を歩いているときの気持ちよさが、多くの地域にはない。

高さも外観もバラバラなビルが並び、アスファルトとコンクリートがヒート・アイランドを作る中、剃り残しのように瓦屋根が残っている。それも屋根は瓦でも家自体は無国籍そのもの。そんな感じだ。

ところがバリは違う。バリに来ると、バリに来たなーという気がする。古い日本の町並みや、里山が残るエリアにいるとき日本にいるなーと思うのと同じだ。文化的には全く違うが、まるでヨーロッパのようだ。



緑に輝く棚田の美しさは圧倒的。夜の闇はどこまでも深く、夕暮れとともにどこかの寺院からガムランが聴こえてくる。それでいてリゾート地なので都会の楽しみも結構あったりする。


ここには何かの力がある、そう感じた。神々の住む島は水が汚れ海が昔ほど綺麗でなくなり、プラゴミも溢れといろいろと問題を抱えてはいるが、なおその文化と自然の力を保っている。

この美しい棚田で、水を汚さない稲作ができたら。

農的な生活や新しい生き方に関心を持ちつつ踏み出せない人も、ただ稲作というのはピンと来なくても、バリの魅力に惹かれてやってくるかもしれない。そしてこのままでは国土を失いかねない日本人が、国土を守るとはどういうことか考えるってことにも繋がるんじゃないか。

一方バリ人はどうも水の大切さに無頓着な感じもするし、新興国は経済成長に否応なく振り回されるフェーズに入る。そこにあの震災を経験した日本人が入って、本当のコミュニケーションをとれたら、現地の人だけでは生まれないものも出てくるかもしれない。

それにバリには外人も多くて、日本では難しい人種的多様性も魅力あるものに思えた。

そんなわけで(長いわw)前回冒頭に戻るが、自分はバリで自然農田んぼを始めます。日本と行き来しつつ、まずは自分で収穫まで持っていけるように研鑽を積んでゆく。

この記録が、言葉にならない思いを抱えて、現状維持という名の自暴自棄に逃げたりもできない。そんな人に届けばなと思います。

 

あまりにも突然に 昨日は砕けてゆく 

それは周りのことで 

僕が何かをはじめよう 

僕が何かをはじめよう

(。。と、俺には聴こえた)
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2015年9月24日木曜日

希望の苗を植えていこう(1)



最近、インドネシアのバリに落ち着いたこともあって久々にブログを立ち上げてみました^^

ここで自然農の稲作に挑戦してみようと思ってるので、その記録ということもあり、誰か似たような関心の人に届くといいなと思うこともあり。
まだこれからなので写真はイメージです(^^;
日本人がなんでバリで稲作?というのは数年前に遡る。

当時大学院の博士課程に上がった1年目、東京近郊の某所で田んぼのプロジェクトを始めた。あの震災前の話です。

ちなみによく聞かれるが大学院といっても農学系ではない。

IT系のいわゆる大企業で長年働き、ナレッジ・マネジメントやITの存在意義を理論的に研究したいと思って会社を辞めてフリーランスのコンサルになり、学校に入り直していろいろと考え込んだ挙句、なぜか農に辿り着いた。

修士の2年間、軽く500冊は超える本を読み論文を漁り、死ぬほど考えこんで思い知らされたのは、
俺は情報について何にも分かっちゃいなかった

という一点に尽きる。

もっと人間にフォーカスしないとITも何もない、幸せに生きてない人間がITを企画しても利用しても何のコミュニケーションも生まれない。生まれるのは「コミュニケーションしてるフリ」ばかりだ。

もともとマーケティング系のソリューションを売り物にしていたこともあって、そういうツールは人間が自分の思うさま枝葉を伸ばしているまさにそのとき、手にすべきモノだと思い立った。が、思い立ったものの具体的に何をすればいいのかが分からない。
ハーブもやりたいなあ。。

そんなとき出会ったのが、コンサル先の社長さんが趣味と現実逃避を兼ねてやっていた畑だった。これええんとちゃうかな、と思った。

それは強い直感でもなんでもなく、どうしていいか分からない隔靴掻痒のなか、自分に貼り付いた世界との壁の向こうで、自分と世界との間にある厚い透明のプラスティックの板の向こうで、何かの熱を微かに感じさせた、そんな程度のものでしかなかった。

子どものときから米は好きだったので、じゃあ俺はお米を作ろう!主食だし!と思って、みんなで田んぼをやって収穫を分かちあおう、というプロジェクトを始めた。

やったこともないのに泥縄で始めたこともあり、そのうえ大学は大学であるわけで、文字通り七転八倒の日々だったが徐々に助けてくれる人も増え、なんとか収穫までこぎつけることができた。

4月というのに雪が降りやがって凍えながらの開墾作業、

夏の最中倒れそうになりながら草取り、

精米したお米を2kgの米袋に入れて農道にずらりと並べたとき、

稲刈りイベント終わりにみんなで写真を取った夕暮れ、

。。いろいろな瞬間を今も忘れることができない。

田んぼの夕暮れは、そこで働く人を深い思いへと誘う
そして、それはブログや当時勢いのあったmixiなど、ITの伝える力というものを痛感した日々でもあった。ネットでは訳の分からない炎上も起きるけど、心から楽しんでいることを乗せれば何かの共鳴もまた起こる。

無農薬で機械を使わずにやろうというコンセプトだったが、東京からも地元からも多くの人に参加いただき、そういうことに対する潜在的な関心の大きさもひしひしと感じた。

やってくる人びとの中には、結構な悩みを抱えた人もいた。そういう人たちが活動に参加する中でみるみる元気になってゆく。そして彼らこそ、最も助けてくれた人たちでもあった。

自分に素直になれば、それを邪魔しない環境があれば、人は眼の色が変わる。その情報がさらに誰かの踏み出す勇気を励ます。強く深い人の思いがITを駆け巡る、そんな流れの中にいつの間にか自分がいるのを感じた。

最初に感じた微かな直感が、確かな実感にいつの間にか変わっていた。田んぼを始めるときにはこれで何かを変えられるんじゃないか、未来を開けるんじゃないかと期待していた。結局変わったのは自分だった。

そして2年目を迎えこれからというとき、あの震災が起こった。

長くなったので、続きはまた(^_^;)

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