2015年9月25日金曜日

希望の苗を植えていこう(2)



そんなわけで前回の続きです。

東京近郊で始めた稲作プロジェクトが2年目を迎えこれからというとき、あの震災が起こった。

田んぼをやっていた地域は原発から200km以上は離れていたが放射能のホットスポットとなり、みんなで集まって食べ物を作るとかとてもじゃないが意味が分からなくなってしまった。

それはある意味で東京でうんざりしながら現状維持のまま流されていた、自分の生き方の合わせ鏡のようだった。ホット・パーティクルには放射能だけでなく、この社会が詰まっていると思った。

かなりの葛藤があったが、プロジェクトは中止した。俺といういい大人が、流されるままに言い訳して生きてきたのだ。それとこれとは無関係ではない。現実逃避を重ねてこの事態を招いておいて、さらにその上塗りをするわけにはいかないと思った。

元々その年、世界のエコビレッジを周る予定だったのだが、同時に同じような活動をできる場を求めて放浪が始まった。西日本や東南アジアの高原農地を探索するうちに、旅自体が楽しくなってきてバックパッカーみたいにもなった(笑)

バッパー旅でいったキルギス秘境の湖。もはや趣旨変わっとる(笑)
で、その中でたどり着いたのがバリだった。東南アジアも日本も、けっこう固有の文化は失われていて、その土地らしい町並みというものがあまり無いように思う。日本だと倉敷や内子、小布施を歩いているときの気持ちよさが、多くの地域にはない。

高さも外観もバラバラなビルが並び、アスファルトとコンクリートがヒート・アイランドを作る中、剃り残しのように瓦屋根が残っている。それも屋根は瓦でも家自体は無国籍そのもの。そんな感じだ。

ところがバリは違う。バリに来ると、バリに来たなーという気がする。古い日本の町並みや、里山が残るエリアにいるとき日本にいるなーと思うのと同じだ。文化的には全く違うが、まるでヨーロッパのようだ。



緑に輝く棚田の美しさは圧倒的。夜の闇はどこまでも深く、夕暮れとともにどこかの寺院からガムランが聴こえてくる。それでいてリゾート地なので都会の楽しみも結構あったりする。


ここには何かの力がある、そう感じた。神々の住む島は水が汚れ海が昔ほど綺麗でなくなり、プラゴミも溢れといろいろと問題を抱えてはいるが、なおその文化と自然の力を保っている。

この美しい棚田で、水を汚さない稲作ができたら。

農的な生活や新しい生き方に関心を持ちつつ踏み出せない人も、ただ稲作というのはピンと来なくても、バリの魅力に惹かれてやってくるかもしれない。そしてこのままでは国土を失いかねない日本人が、国土を守るとはどういうことか考えるってことにも繋がるんじゃないか。

一方バリ人はどうも水の大切さに無頓着な感じもするし、新興国は経済成長に否応なく振り回されるフェーズに入る。そこにあの震災を経験した日本人が入って、本当のコミュニケーションをとれたら、現地の人だけでは生まれないものも出てくるかもしれない。

それにバリには外人も多くて、日本では難しい人種的多様性も魅力あるものに思えた。

そんなわけで(長いわw)前回冒頭に戻るが、自分はバリで自然農田んぼを始めます。日本と行き来しつつ、まずは自分で収穫まで持っていけるように研鑽を積んでゆく。

この記録が、言葉にならない思いを抱えて、現状維持という名の自暴自棄に逃げたりもできない。そんな人に届けばなと思います。

 

あまりにも突然に 昨日は砕けてゆく 

それは周りのことで 

僕が何かをはじめよう 

僕が何かをはじめよう

(。。と、俺には聴こえた)
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