最近、インドネシアのバリに落ち着いたこともあって久々にブログを立ち上げてみました^^
ここで自然農の稲作に挑戦してみようと思ってるので、その記録ということもあり、誰か似たような関心の人に届くといいなと思うこともあり。
日本人がなんでバリで稲作?というのは数年前に遡る。
当時大学院の博士課程に上がった1年目、東京近郊の某所で田んぼのプロジェクトを始めた。あの震災前の話です。
ちなみによく聞かれるが大学院といっても農学系ではない。
IT系のいわゆる大企業で長年働き、ナレッジ・マネジメントやITの存在意義を理論的に研究したいと思って会社を辞めてフリーランスのコンサルになり、学校に入り直していろいろと考え込んだ挙句、なぜか農に辿り着いた。
修士の2年間、軽く500冊は超える本を読み論文を漁り、死ぬほど考えこんで思い知らされたのは、
という一点に尽きる。
もっと人間にフォーカスしないとITも何もない、幸せに生きてない人間がITを企画しても利用しても何のコミュニケーションも生まれない。生まれるのは「コミュニケーションしてるフリ」ばかりだ。
もともとマーケティング系のソリューションを売り物にしていたこともあって、そういうツールは人間が自分の思うさま枝葉を伸ばしているまさにそのとき、手にすべきモノだと思い立った。が、思い立ったものの具体的に何をすればいいのかが分からない。
そんなとき出会ったのが、コンサル先の社長さんが趣味と現実逃避を兼ねてやっていた畑だった。これええんとちゃうかな、と思った。
それは強い直感でもなんでもなく、どうしていいか分からない隔靴掻痒のなか、自分に貼り付いた世界との壁の向こうで、自分と世界との間にある厚い透明のプラスティックの板の向こうで、何かの熱を微かに感じさせた、そんな程度のものでしかなかった。
子どものときから米は好きだったので、じゃあ俺はお米を作ろう!主食だし!と思って、みんなで田んぼをやって収穫を分かちあおう、というプロジェクトを始めた。
やったこともないのに泥縄で始めたこともあり、そのうえ大学は大学であるわけで、文字通り七転八倒の日々だったが徐々に助けてくれる人も増え、なんとか収穫までこぎつけることができた。
4月というのに雪が降りやがって凍えながらの開墾作業、
夏の最中倒れそうになりながら草取り、
精米したお米を2kgの米袋に入れて農道にずらりと並べたとき、
稲刈りイベント終わりにみんなで写真を取った夕暮れ、
。。いろいろな瞬間を今も忘れることができない。
そして、それはブログや当時勢いのあったmixiなど、ITの伝える力というものを痛感した日々でもあった。ネットでは訳の分からない炎上も起きるけど、心から楽しんでいることを乗せれば何かの共鳴もまた起こる。
無農薬で機械を使わずにやろうというコンセプトだったが、東京からも地元からも多くの人に参加いただき、そういうことに対する潜在的な関心の大きさもひしひしと感じた。
やってくる人びとの中には、結構な悩みを抱えた人もいた。そういう人たちが活動に参加する中でみるみる元気になってゆく。そして彼らこそ、最も助けてくれた人たちでもあった。
自分に素直になれば、それを邪魔しない環境があれば、人は眼の色が変わる。その情報がさらに誰かの踏み出す勇気を励ます。強く深い人の思いがITを駆け巡る、そんな流れの中にいつの間にか自分がいるのを感じた。
最初に感じた微かな直感が、確かな実感にいつの間にか変わっていた。田んぼを始めるときにはこれで何かを変えられるんじゃないか、未来を開けるんじゃないかと期待していた。結局変わったのは自分だった。
そして2年目を迎えこれからというとき、あの震災が起こった。
長くなったので、続きはまた(^_^;)
ここで自然農の稲作に挑戦してみようと思ってるので、その記録ということもあり、誰か似たような関心の人に届くといいなと思うこともあり。
まだこれからなので写真はイメージです(^^; |
当時大学院の博士課程に上がった1年目、東京近郊の某所で田んぼのプロジェクトを始めた。あの震災前の話です。
ちなみによく聞かれるが大学院といっても農学系ではない。
IT系のいわゆる大企業で長年働き、ナレッジ・マネジメントやITの存在意義を理論的に研究したいと思って会社を辞めてフリーランスのコンサルになり、学校に入り直していろいろと考え込んだ挙句、なぜか農に辿り着いた。
修士の2年間、軽く500冊は超える本を読み論文を漁り、死ぬほど考えこんで思い知らされたのは、
俺は情報について何にも分かっちゃいなかった
という一点に尽きる。
もっと人間にフォーカスしないとITも何もない、幸せに生きてない人間がITを企画しても利用しても何のコミュニケーションも生まれない。生まれるのは「コミュニケーションしてるフリ」ばかりだ。
もともとマーケティング系のソリューションを売り物にしていたこともあって、そういうツールは人間が自分の思うさま枝葉を伸ばしているまさにそのとき、手にすべきモノだと思い立った。が、思い立ったものの具体的に何をすればいいのかが分からない。
ハーブもやりたいなあ。。 |
そんなとき出会ったのが、コンサル先の社長さんが趣味と現実逃避を兼ねてやっていた畑だった。これええんとちゃうかな、と思った。
それは強い直感でもなんでもなく、どうしていいか分からない隔靴掻痒のなか、自分に貼り付いた世界との壁の向こうで、自分と世界との間にある厚い透明のプラスティックの板の向こうで、何かの熱を微かに感じさせた、そんな程度のものでしかなかった。
子どものときから米は好きだったので、じゃあ俺はお米を作ろう!主食だし!と思って、みんなで田んぼをやって収穫を分かちあおう、というプロジェクトを始めた。
やったこともないのに泥縄で始めたこともあり、そのうえ大学は大学であるわけで、文字通り七転八倒の日々だったが徐々に助けてくれる人も増え、なんとか収穫までこぎつけることができた。
4月というのに雪が降りやがって凍えながらの開墾作業、
夏の最中倒れそうになりながら草取り、
精米したお米を2kgの米袋に入れて農道にずらりと並べたとき、
稲刈りイベント終わりにみんなで写真を取った夕暮れ、
。。いろいろな瞬間を今も忘れることができない。
田んぼの夕暮れは、そこで働く人を深い思いへと誘う |
無農薬で機械を使わずにやろうというコンセプトだったが、東京からも地元からも多くの人に参加いただき、そういうことに対する潜在的な関心の大きさもひしひしと感じた。
やってくる人びとの中には、結構な悩みを抱えた人もいた。そういう人たちが活動に参加する中でみるみる元気になってゆく。そして彼らこそ、最も助けてくれた人たちでもあった。
自分に素直になれば、それを邪魔しない環境があれば、人は眼の色が変わる。その情報がさらに誰かの踏み出す勇気を励ます。強く深い人の思いがITを駆け巡る、そんな流れの中にいつの間にか自分がいるのを感じた。
最初に感じた微かな直感が、確かな実感にいつの間にか変わっていた。田んぼを始めるときにはこれで何かを変えられるんじゃないか、未来を開けるんじゃないかと期待していた。結局変わったのは自分だった。
そして2年目を迎えこれからというとき、あの震災が起こった。
長くなったので、続きはまた(^_^;)
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