2021年5月4日火曜日

youtube動画で自然農3原則を改めて理解する



ちょっと前と比べたら自然農の作物づくりはずいぶん広まったと思う。

youtubeの自然農動画はもういくらでもあるし、自然農以外にも協生農法、BLOF、たんじゅん農法と様々な自然農的な農法が、全国で実践されている。

自然農の原則は

  • 耕さない
  • 雑草を生やしたままにする
  • 持ち込まない、持ち出さない

とよく言われるが、現在の自然農では実際どのように実践されているのだろうか。

先達のyoutubeを観ながら、現在の自然農がこれらをどう消化しているのか考えてみたい。

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■不耕起だけど耕す?

慣行農法でも不耕起の自然農でも、要するに野菜が育ちやすい環境を整えることに違いはない。

自然農では耕さないことによって、土の力で作物を育てることを試みる。

が、そうは言っても1回も耕さずに草原に種をばら播くわけではない。

耕すことのデメリット

耕して作物向きの環境を整えるのは手っ取り早いが、

  • 土の構造を破壊する
  • 雑草が一斉に生える
  • 有機物を激しく消費する

といったデメリットがあるという。

以下の動画に詳しい。


慣行農法では上記の3つの問題に対し、

  • 毎回耕す(土の構造を壊す)
  • 農薬をまく
  • 化学肥料を入れる

という対応を取るので、土がどんどん悪くなるサイクルに嵌まり込んでしまうのだと思われる。

上記動画ではそれを「土が風化する」と表現している。

不耕起は目的ではない

慣行農法では要するに一定のスピードで砂漠化が進むわけだ。

上記の動画によれば、耕さない農法では雑草の根がつくる根穴構造を壊さないので、ミミズなどの巣や微生物のネットワークが土を柔らかく保ち、水はけを確保する。

草は慣行農法よりマイルドに生えるが、それを刈り敷いて有機物を常に補給する。

とはいえまったく一度も耕さないかというと、そんなことはない。

動画で触れられているが、

  • 最初に畝を立てるとき、耕うんしてやりやすくする。そしていったん立てた畝は恒久的に使う。
  • 畝に雑草堆肥を入れるときは耕す。
  • 種を播くときは播くところを発芽しやすいよう耕す。

という感じで、毎回でも全面的でもないが、耕すタイミングはある。

慣行農法のような全面的な耕起をやってしまうと土が悪化し続けるが、ポイントを押さえた最低限の耕起は土を良い状態に育て、維持するのだ。

■「草生」もより合理的に

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雑草を生やすのが自然農というイメージもあるが、トラクターで全面的にすき込むわけではないだけで、実際には草は刈る。

しかし排除するべき邪魔者というより、うまく調和すれば場を豊かにしてくれる存在という感じだ。

害虫対策としての草生

「雑草を根こそぎにすると様々なアンバランスが現れ、農薬等が必要となってしまう」という、よく聞く自然農の主張は本当だろうか。

以下の動画を観てみよう。


虫が付きやすいと言われる小松菜などアブラナ科だが、↑で分かる通り多少食われる程度でしかない。

雑草に害虫が住み着いてしまうというのが慣行農法の主張だが、逆に草が無くては虫が野菜しか食うものがなくなる。
また雑草があるおかげでクモが住み着き、イナゴはほとんど見ないという。

つまり自然農では、害虫を生物のバランスで抑えるということ。

雑草は風通しと光を確保する程度に刈るだけで、取りきらない。
高さ的には苗を草が追い越さない、くるぶし程度がよいらしい。

土作りとしての草刈り

雑草は生き物の住処であるとともに、土を豊かにする有機物の供給元でもある。

以下の動画によれば、「チェルノーゼム」という世界に2箇所しかない豊かな土壌を、自然農は再現しているという。


チェルノーゼムがある地域は乾季があるため多年草が生き残れず、1年草が枯れては積み重なる。
それが腐植の蓄積した豊かな土地を作る。

日本も放っておけば多年草の植生に移行してしまう。
自然農では人間が草を、根を抜かずに刈ってその場に置き続けることで、チェルノーゼムと同じ条件を作っている。

半年やってるだけでずいぶん土質は変わり、2年でだいぶ団粒化するという。

とはいえ良い土になるには4~5年かかるらしく、その間はダイコン、豆などを植えるのもいいし、植物性堆肥を使えば1年目からかなりよくなるらしい。

■持ち込み・持ち出すことの意味

持ち込み・持ち出すことのデメリットは現在の自然農でも意識されているようだ。

資材を持ち込んだり、いらないものを捨ててしまえば確かに短期的に目的を達成できるだろう。

しかしその外にダンプされた負荷が自分のところに返ってくるリスクは上がる。

そこにあるもので回ってしまうというのにはやはり魅力を感じる。

持ち込むとバランスを崩す

短期的な成果を求めて圃場に「持ち込む」ことで何が起きるか、この動画が参考になる。

>> 【根本的に解決】害虫が大量発生する本当の意味!根本的に害虫の大量発生を防ぐには!?

白菜の促成を狙って牛ふん堆肥を入れたところに虫が大発生してしまっている。

また白菜は確かに巨大化したが、本来のスピードを超えて生長させられたことで色つやも鈍くなったという。

なのでやはり自然農の王道としては、刈り草を置き続けて全体の地力を上げるということになる。

そこだけ突出して栄養があるから虫が来る。
虫はそれを喰い取りどこかに持っていく。

全体を豊かにするということを虫はやっていて、それは刈り草を置き続けるのと同じ営為である。

持ち出すことのデメリット

収穫以外で圃場から持ち出されるもの、それは雑草だ。
一見必要ない草を持ち出すのは、どういう影響があるだろう?

以下の動画、8:23あたりから観てみよう。


刈り草は土の保護と堆肥の意味があり、地中に残った根は通気を促し微生物が活発化する。

逆に草を持ち出すと土がむき出しになり、雨風日光で土が劣化する。
クモやカマキリ、カエルが隠れる場所がないので天敵がいなくなって害虫が増える。

自然農で持ち出されず畝に置かれた刈り草は、枯れた植物や生き物の死骸が堆積した「亡骸の層」となり、それがまた次の生命を育んでいる。

持ち込むことは悪か?

最近バイオトイレというので排水から菌で浄化された微生物水をもらった。

試しに薄めたものを小松菜に噴霧してみたところ、


見ての通り明らかに生育も緑の濃さも変わってきて驚いた。

これは圃場の外から異物を持ち込んでいるわけだが、家のバイオトイレで作られた微生物水なら、人間の生活域も含めた範囲ではかなり閉じている。

人間がそこでできたもの以外も食べるので、それでも完全にそこにあるものとは言えないが、人間が関わることでよりその場が豊かになっているのは確かだ。

自然農は畑の生き物だけではなく、人間の生活も含む方向で拡張されるのかもなあ、とも思う。

■自然と合理

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自然農は「不耕起草生」とよく言われる。

しかし現在の自然農の実際を見てみると、1回も耕さずに草原に種をばら播くわけではないのがわかる。

初期の自然農法は文字通り慣行に埋没する社会を驚かせ、その死角にあったものに目を向けさせるものだった。

では改めて考えてみてどうなのか?
現在の自然農は原則に学びつつ、新たな道を切り拓いているように見える。

自然に入る

不耕起草生もリテラルにそうしたいひとはそうすればいいと思うが、実践する姿勢は人それぞれだ。

以下の動画はそうした1つの姿勢を示していると思う。


「自然」とは自分の眼前にある草木や空や空気だけではなく、自分自身が心地よく自然体でどう関わるかを含んでいる。

自分のあり方を受け入れることで「農」にも新たな価値が見えてくる。

おそらく人間はそのとき自然を外から眺めているのではなく、その中にあって一体に流れているのだと思う。

その意味では、バイオトイレのような技術を介して人間がサイクルの中に自分を入れ込むのは、自然農的に理にかなっているようにも思う。

合理的な価値

だから、元祖自然農法が示した本質とは不耕起草生の技術論ではなく、「本当のところどうなんだ」を問い学ぶ姿勢なのだと思う。

当たり前だが、それは自分の中に自然に湧き上がるものに耳を傾けなければわからない。
そして万物とともにある自然の流れの中にいるとき、それは聴こえてくる。


その態勢のもとで発見されるのが、やり過ごしているうちに忘れてしまった問題を乗り越える、本当に合理的なものなのだと思う。

存在する問題を存在しないと言うのは不合理な嘘であり、嘘は自分の感覚に耳を傾けない不自然なのだから。

不耕起草生をある種合理的に捉え実践する現在の自然農は、「それが正しいことだから」ではなく、学び続けることが自然だからそうしているのだ。


自然農、その他のお役立ち情報



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