2024年9月30日月曜日

無農薬なのに作物アリの雑草ナシ?!どないやねんなの田んぼと畑を見てきたよ



九州某所。

たんじゅん農法というのを学び始めた頃、いろいろと教えていただいた方が活動している田畑に訪問してきた。


今はたんじゅん農法を超えた活動をされてるのだが、もちろん田畑もされていて、これまでのノウハウを注ぎ込んだ見たこともない栽培を実践されていた。

技術とともにそれが可能にする未来にものすごく可能性を感じたので、それも含めレポートしてみる😃


スポンサーリンク


■草のない田んぼ

まず連れてってもらったのは独自のノウハウから考案された田んぼだ。

自分が以前田んぼをやったときは草取りが本当に地獄だった。

しかしここの田んぼは。。!

草がない!

この田んぼ、株間はかなりの密植。


しかしてライン間は60cmくらいとかなり広い。


風通しと日照、作業のしやすさ、そして作付けの効率をすべて両立させたらこうなるみたい。

そして見て!
ぜんっぜん草が無い!

過去田んぼをやったときは、猛暑のなか死ぬんじゃないかと思うくらい草取りがキツかった自分には奇跡的な光景だった😳

イノシシも来ない?

そしてここは山間。
イノシシが心配なエリアだ。


しかしこの田んぼはイノシシも来ないはず、という。

実際別の場所で去年からやってる田んぼは、去年はイノシシにやられたのに今年は来てないらしい。

病気や獣害、実は周辺の田んぼでは発生してるらしく、この方法でやると稲がそこまで強くなる😳

というか余計な養分がそこにあるからイノシシ先生が「バランス悪いよ、君が崩しとるよ」と教えに来るんやね。で授業料取っていくと😅

今年はまだとりあえず植えた感じらしく、それでも2R❓️で100kgくらいは見込めそうとのこと。

代かきのひみつ

この奇跡の田んぼは代かきに秘密があるらしく、水を流しながら人力で、それこそ手で固い土の層をとろとろにほぐして、

  • 余計な養分や
  • 浮いてくる草の種

を流してしまうという。

田んぼにもたんじゅん農法の畑で言う硬盤層のようなものがあり、水が漏れないよう止めてる層の上に堆積してるらしい。

1度これをセットアップして、さらに稲に余計な養分を吸わすといよいよ完成形って感じなんだろうか。

初年の今年も十分穫れそうだけど、来年以降はもっと収穫を目指すそうな😳

■草取りも水やりもしない畑

スポンサーリンク

そして田んぼに続き目が丸くなるような奇跡的な畑も見学した。

見たこともない畑の姿は、これまでのノウハウから合理的に考えるとそうなるという。

そしてその通りの結果が出てるのであった。

草はないけど作物は育つ

その畑、実験で植えられてたのはズッキーニ。


見てもうみんな元気にわっさわさ❗️

しかして足元を見てみると、、


まったくもって雑草先生がいない❗️

ズッキーニはこんなに巨大化してるのに😳

土が、雑草ではなく作物のための土になってるのだ。

そんなことある❓️と思うけど実際にあるんやもん❗️

水やりもなし

知っての通り昨今は日本でも灼熱化が進む。

この日も晴天、そして足元はカラッカラ。


ズッキーニの足元もこの通りカラカラ。


しかしてズッキーニはわさわさに大きくなり、しかも葉が萎れてすらいない。

ズッキーニは水分が足りなくなると水分を保持するため葉が萎れ丸まるのだが、水分のかなりの部分を空気中から得ているという。

なので水やりせずとも天水だけで、ズッキーニ先生は健やかに育っているのであった。

もともと湿気や多すぎる水が苦手な作物ではあるけど、地表がこんなカラッカラでもこんなけ元気なのはスゴい😳

微生物が生きるレイズドベッド

この奇跡のような畑のひみつ、それはこの見たこともない高いレイズドベッドだ。


パーマカルチャーでよく使われるレイズドベッド、しかし普通は地べたを区切って少し高くしてあるだけ。

このベッドの高さには多くの作物の根の圏域60cmに対応し、その範囲の微生物を活性化するという目的がある。

水はけのため下の方にパーライト、さらにベッドの下に石が敷き詰めてある。

好気性の微生物が活発に呼吸するので朝の水気を含んだ空気も土中に吸い込まれる。
それもカラカラに見える土でズッキーニが生き生きと生育する1つの要因だろう。

たんじゅん農法の畑は最初にそれくらいの深さで掘り返して硬盤層を壊したりする。
太陽熱養生もおそらくその範囲を改善してる。

そうした経験から来てるのだろうと思うのだけど、それをここまで合理化して再現するのがものすごい。

実際、これは畑の微生物を安定的に活性化するのに5年かかるところ、数ヶ月くらいに短縮してしまうという😳

■無限の草でタイムワープ

この微生物が活きる土も普通の土ではない。

といって特別でもなく、おそらく雑草堆肥とか呼ばれてるものと同じか近いものだ。

資材もそのへんの草と土と米ぬか。

。。あれ土はいるんだっけ❓️
確認してみます😅が、とにかく特別な資材を買う必要もなく、5年後の世界を数ヶ月で見ることができるのだ。

雑草でつくる微生物の土

ベッドに詰めている土はこんな感じで作っている。


刈り草と土と米ぬかを何層(7層だっけ❓️)にも重ねて熟成させる。

一層の高さはこれくらいだそうな。


で、数ヶ月くらい置く。

数ヶ月というのが具体的にどれくらいか忘れてしまったのだが、雑草堆肥だと3~6ヶ月なのでそれくらいかな❓️

👇️はとりあえず様子見にトマト植えてるところ。


まんべんなく草が生えるようになると完成❓️


これをベッドに詰めれば、プロでなくてもあのわっさわさのズッキーニのような野菜ができてしまうのだ❗️

理論の実証と言う意味でも、普及のし安さという意味でも、自分的に衝撃的なのであった😳

普通の草堆肥との違い

自分もこの規模ではないが草堆肥はやったことがある。

この土作り👇️と普通の雑草堆肥はどう違うのだろうか❓️


通常の雑草堆肥はこんな感じで作る。


この方法だと1週間毎に混ぜっ返す(ちなみに自分は1ヶ月ごとだった)。

が、今回見た土作りはたぶんいったん積んだら放置ぽい❓️のでそこが違いだろうか。

とりあえずいろいろ確かめたいので草刈り用の農奴として使ってもらえないか聞いてみる予定である。

■未来のショーケース

スポンサーリンク

この方法で田畑をやると、5年後の世界を数ヶ月で見ることができる。

数ヶ月でそこに到達した人たちはさらに先の世界をそこからつくることができる。

それは未来を理屈でなく現実で見せて、やるひとのみならずそれを知った人々の意識をも変える、そんなプロセスだと思う。

田舎のリソース

伺った某所も空き家がけっこうある地域だ。

廃校となった小学校があり、宿泊も可能な施設として利用してるという。


美しい湧き水があり、空いている田畑ももちろんある。

山間だが海もすぐそこだ。

ちょっと考えるだけでも

  • 今回見せてもらった野菜作り
  • みんなで田んぼに参加
  • 海水持ってきて塩つくり

となんでもできる。

5年後とその先の未来へ

おそらく今回見せてもらった方法なら、かなりの再現性でハイクオリティな野菜をつくることができる。

いろんなひとが参加して、自分のつくりたいものを作って、収穫期にはどうせ余る(何しろ確実にできる)野菜をあげたいひとにあげるだけで、地域の豊かさはつくられてゆく。

その豊かさはたくさん換金できることではなく、食べるものを美味しくたくさんつくれることだけでもなく、そこでできる関係やコミュニケーションにあるように思う。

できたものを自慢したくてもらってほしくて、あげたいひとにあげたくなる。

それを「一方的ラブミサイル」と呼んだひとがいたが、それは等価交換でできた睨み合いと真逆の世界だ。


自分にとって未来の経済とは等価交換の呪縛から解き放たれた世界だ。

田舎のリソースを活かしてなんでもつくってみればいい。
うまくできたら分かち合いたくなるから。

■世界は変わる

スポンサーリンク

手で土を溶かして代かき、肥料買ってくりゃ一瞬のことを草を刈りまくって土つくり、そしていつかみんなで収穫した米を汲んできた湧き水で炊いて野菜をみんなでほおばって、、

等価交換で引きずり出した効率や便利とほど遠いこの世界の魅力とはなんだろう?

ベトナムの自然農

去年ベトナムの自然農園を訪れたのだが、たまたまその日が村の収穫祭で、農園主さんが自分も連れてってくれた。

村で穫れた米や野菜、そして鶏や卵がところ狭しと床に並ぶ。


ぜんっぜん言葉はわからない中、強い酒を飲み交わしこれ食えあれ食えと食い方を教えてくれて、とても楽しい時間を過ごしベロベロになって帰った(笑)

そのとき農園主さんが言ってたのは、「これで幸せなのに何で変わっていくのか」ということだった。

あるいはベトナムで都会暮らしに見切りをつけ、森の中で自給生活を始めるひともいる。


ベトナムの高原ダラットの自給プロジェクトでは都会の便利な暮らしからシフトし、森を切り開き家をセルフビルドし、そこにできたものを食べている。

福岡正信のわら一本の革命のベトナム語訳も読まれたらしく、それも感動したなあ。


経済成長を終えた日本だけじゃない、高度成長真っ只中のベトナムにもそういう人びとがいる。

ライフスタイルとシフト

自分は一時阿蘇の森の中で住まわせてもらい、畑をやりながらオフグリッドの生活を実践していた。


それは長年頭で考えていたことに血肉を与えた。
そりゃもう四苦八苦だったが、気持ち良い風が身体に吹き抜けるような日々だった。

そして木や石や水が汚されることが、それが回り回って自分が困る、ではなく、いつかそのまま自分の痛みになる気がした。

そのライフスタイルにして初めてわかる感覚がそこにあった。

自分が九州でベトナムであるいは他の様々な場で見た希望は結局、近代に持ってかれた後でもこうして変わることはできる、ということだ。
生命は生きている生命の中でしか生きられないし、ニンゲンもそれに気づかずにはいられない。

福岡正信と、今の日本びととベトナムびとのしようとしてることの一致はたぶん偶然ではない。

流れる世界

自分という生命が欲していることを他の生命の中で気づかせてもらえるライフスタイルが、あちこちで無意識に希求されているように思う。

同時にそこで生まれる様々な問題は参加者が増え助け合えないとかなり解決が難しくもある。
とてもやれないと尻込みする、しんどくなって始めても撤退するということが起こる。

一部の技術を持つひとにものすごい負荷がかかり生まれかけたソレが立ち消えるようにも思う。

自分はいま、今回学ばせてもらったような技術も使いつつ、阿蘇でしたようなオフグリッドの暮らしの場を世界のあちこちにつくりたいと思っている。

たとえばこんな👇️プロジェクト。
これはベトナム北部でやってるらしい。


参加するひとを増やしたいからだがそれは現状誰でも来れる場所ではなく、、

多くの、触れられれば飛び上がらんばかりの痛みと執着を無意識に抱え、簡単にヒスを起こすモラハラ人間ではなく、

まずは生命を生きさせる、ひとを放っておける、よくわからないことを面白がれる、流れを流れさせる、自分を流れさせるということに、痛みを抱えたままで、真摯になれるひと。

安心して迷ってられる、それをこそ助け合うこと。
「参加」とは技術的なことではなく、技術はそれを可能にする必要条件の1つだろうと思う。

そうして世界でシフトしてゆく流れを見つけ出し、より大きな流れとなるよう流れ込む、キングスクロス9¾番線への入り口をつくりたいと思っているのです。



その他の希望のサイトはこちら



スポンサーリンク


スポンサーリンク


0 件のコメント:

コメントを投稿