2017年1月1日日曜日

世界に多様性を示す東ティモール――東ティモールから世界の未来へ(1)


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最近、東ティモールのコーヒー栽培を学びに、知り合いのフィリピンNGOと支援農家が訪れた。行ったのはフィリピンの高原都市・バギオに本拠を置く環境NGO、Cordillera Green Network


代表の反町真理子さんは東南アジアを探索していた当初ずいぶんお世話になったのだが、偶然にも東ティモールに行く途中バリで出会い、いろいろと現地のお話を聞かせていただくことができた。

お話を聞かせてもらったクタのビーチ
東ティモールはインドネシアから長い闘争の後に独立した誇り高い国。生活は貧困と定義されるものだが、人びとは明るく暮らし、世界に高品質なコーヒーを供給する一大産地でもある。

カンタ・ティモールという独立闘争をドキュメントした映画でこの国を知って以来、インドネシアも近いし気になっていたのだが、宿泊がとにかく高いので二の足を踏んでいた。なので直接現地に行った人にお会いできたのは貴重な機会であった。

そして現地の話を聞く中、この国が世界の多様性を担う重要な場所であると思えてきた。

■東ティモールの歴史と言語
東ティモールはもともとインドネシア領。もともと、と言っても伝統的にそうなわけではなく、植民地宗主国が撤退した直後、インドネシアが侵攻してきてそうなった。

インドネシアはオランダの植民地であったが、東ティモールはポルトガルが支配していた。ポルトガルが去ってみんな喜んでたらインドネシアが攻めてきて、ホッとしてたところにやってきたもんだからあっという間に占領されたという。

この素朴な風景にも、おそらく先人の血が染み込んでいる
その後の長い闘争を経て独立したのは2002年。2000年代に独立を勝ち取ったというのはなかなか無いんでないだろうか。実に成人の1/3が亡くなったという。インドネシアこそ長い植民地化に苦しんだ国なのに、弱いものがさらに弱いものを叩く感じが気を重くさせる。

独立後、闘争中ポルトガルに逃げていた人びと(基本的に元政府要職だったようなお金持ち)も帰ってきて、最初に相談したのは言語

東ティモールは旧宗主国の関係でポルトガル語が普及していて、ポルトガルに逃げていた人びとはそっちしか話せない人もいる。25年のインドネシア支配の間に、インドネシア語も誰もが話せるほど普及していた。現地語はインドネシアと同じで部族ごとに違い、様々。通貨がUSドルなので、英語にしようかという話もあったという。

一番話す人口が多いのはインドネシア語だったが当然却下で、公用語は帰国組との共通語、ポルトガル語になった。本国以外ではブラジルかここかという稀有な国である。そして国語は現地語で一番人口の多いテトゥン語。インドネシア語もそうだが、かなり簡単な言葉らしい。

公用語が英語で国語がタガログのフィリピンに似ているが、ここで言語に英語を選ばなかったことが、ひょっとしたらこの国の経済的・文化的侵略に対する防護壁になるかも、とも思う。ちなみに日本における日本語もそういう面があったと思う。


■コーヒー栽培とブリコラージュ
東ティモールの主要産業は先に書いた通りコーヒー。主要というか、それ以外何もない。なので思いっきりモノカルチャーになっていて、主食の米はインドネシアから輸入している。

お金がなく農薬も機械もとても買えない中、ひたすら人手で、そこにあるものを利用して道具を作りコーヒーを育てる。農機具を、壊れた自動車の部品を道具にドラム缶から作り出す神業レベルの職人がいるという。

例えばコーヒーの皮むき機。機械を買う金はもちろん無い。これを満足な道具もない中、トンカチでドラム缶から型抜きしたディスクに一定の高さの窪みを作っていく。高さが完全に一定でないと、品質を保って皮を剥くことができない。


できたディスクを車軸に取り付ける。ネジ類はこれまた壊れた自動車から。廃ドラム缶と廃車でできた皮むき機だ。


地域の余剰を利用する、これはまさにパーマカルチャー。オーストラリア人の支援者が多いらしく、その影響もあるのだろうか。現地人のパーマカルチャリストもいて、最近政府の職を得て普及活動をしていくのだという。

完成品!
ある種原始的な世界でありながら、こうした効率化の成果もありコーヒーの生産量はものすごい。なんと某日本のNPOが仕入れているだけでも250t!東ティモールコーヒーは世界で親しまれている一大ブランドなのだ。これをそこにあるもののあり合わせ、ブリコラージュで実現しているところにものすごさがある。

きれいにコーヒーの皮が剥けてゆく

■近代化から学ぶこと
資本がやってきてプランテーションと近代工場にしてしまえば効率的にはなるが、その分職人の仕事も、技術も失われてゆく。仕事は機械の部品になったかのような単調なものに取って代わる。


フィリピンのセブで日系工場に働きに出ている知り合いがいるが、これが終わったら山の中の緑あふれる村に帰れる、とずーっと考えながら毎日仕事してるという。現金収入にはなるが、人生のかなりの部分をそういうもので埋め尽くされるのは、幸せとは言えない。

彼女を突き動かしているのは将来持つであろう子どもの教育費で、新興国で学歴というのはかなりクリティカルなのであろう。そのように近代システムに追い立てられている。

さらにプランテーションがやってくるとき、起こるのはインドネシアの侵攻もかくやという資源の収奪だ。フィリピンのミンダナオではバナナのプランテーションがあるが、先住民族は先祖代々の土地を文字通り暴力で奪われ、プランテーションの労働者にさせられた。

プランテーション化されれば、農地も農薬漬けになる。土地がダメになれば資本は何を回復させることもなくただ出てゆく。

あとに残るのは汚染された農地、技術のない人びと、現金に頼る暮らし、元の生活からすればとんでもない維持費のかかる町。無主の自然はいつの間にか鉄条網で囲われて、荒れたプランテーションの跡地には誰も入れない。無償で食べ物を得られた森はもうない。川は汚染されて魚は姿を消した。スラムはこうして生まれる。

■2つの道と、世界の希望
多くの新興国はこのルートを辿った。元・新興国であった日本も冷戦の隙間でカネが儲かったので時間稼ぎできただけで、たぶんこのまま行くと同じ道を辿る。ヨーロッパも東南アジアから収奪した富のドーピングが切れたとき、同じことになる可能性は大きい。これは巨大な歴史的転換点であって、政策でなんとかなるようなことではない。

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しかし近代化により何が生まれ何が失われたのか学びながら発展していくことが、まだ東ティモールにはできる。数十年後の東ティモールが、今の先進国が行き詰まり、従来の政策がまったく効かない中、没落していくのと同じ道を歩む必要はない。

お話を聞かせてくださった反町さんはクタの喧騒を眺めながら、こうなっちゃいけないね、と言っていた。

クタのクラブ界隈
自分にはクタはまだバリらしさを残していて、好きな方の部類に入るのだが、いつもフィリピンの山岳民族の伝統的暮らしを見ている人からするとあれでも十分破壊されて映るのだろう。そして、その自分と違う視点のあることは、おそらくこの世界の可能性なのだ。

東ティモールの政府要職にパーマカルチャリストが就いたというのは、この国の行く先を、ミンダナオがその多くを奪われた、大きな希望で照らしている。その希望は、先進国が、まだ失ったことに気づいていない何かのようにも思われる。自然農者なら、それを大安心と呼ぶだろう。


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それはこのままなす術もなく流されかねない、この世界の希望でもある。東ティモールは”開発”に新しい概念を与え、世界に有用な多様性を追加する、そういう存在になることができるのだ。

バンコクを未来永劫維持することはできない


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