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東ティモールでは、このガイドブックをもとに、学校の学年ごとにテキストとカリキュラムを作り、全土の学校でパーマカルチャーのモデル農場を作る事業も始動している。それもエゴが教育省の人間としてその動きをプロデュースしている。
これは先の参院選で話題となった三宅洋平の政策に似ている。三宅洋平の演説は以下↓なので興味があれば見てみてほしい。自然農についての政策は39:53あたりになる。
残念ながら彼は落選したし、当選しても自然農や有機農法を学校で教え、自立した人間を育むというその政策が実現するのは遠い先のことだろう。
しかし東ティモールではそれが政府の政策として、今現実に進められているのだ。それは東ティモールの未来を切り拓き、東ティモール・モデルが先進事例として世界を導く可能性を持っている。
■パーマカルチャーは多文化をまとめ上げるか?
東ティモールの農民は農薬を買うお金などまったくもって無いから、東ティモールの農業はごくナチュラルに自然農法、有機農法だ。パーマカルチャーは有機的循環を重視するから、このナチュラル自然農の世界を壊すことなく、近代と調停しつつアップデートしてくれるかもしれない。例えば新聞紙は土作りの際使う炭素材になりうるが、インクが重金属を含むのが問題となる。そこでパーマカルチャリストはソイ・インク(大豆由来のインク)の使用を訴えるが、先進国で大々的に採用されたという話はあまり聞かない。既存の産業が通常のインクで回っているからだ。
しかし新聞が普及しているとは思えない東ティモールでは、そういうことをこれから決められるのだ。うまくすれば彼らは特別な何をするでもなく、古新聞の束に誇りを持つことができる。外国人が来るたび感心して帰っていくのを見て、うれしく思うだろう。
また、出稼ぎに来ているフィリピン人には山間農家出身の人もいるかもしれない。その知恵は学ぶに値するものだし、そういう知識の循環を起こすのもまたパーマカルチャーのはずだ。
実際、東ティモールの農法はものすごく素朴なものらしく、山間地などは農地の規模が大きくなるにつれ土の流出に悩まされているという。で、フィリピンの山間農家が、適切な果樹を植えて土の流出を防いで果実も採れるという棚田の知恵を伝えたら、感心していたらしい。でもやらなそうであるらしい(笑)
東ティモールは現状、コーヒーに依存する超モノカルチャー |
東ティモール、オーストラリア、フィリピンは基本的にキリスト教国であるので、その親和性も活きる可能性がある。コミュニケーションを活性化すれば、今は面倒で聞き流しているようなことも、やがて少しずつ取り入れられていくかもしれない。
東ティモールのカトリック教会には多くの人が集まる |
オーストラリアからやってきたパーマカルチャーが、東ティモールとフィリピンに散らばったカトリックの人びとが融和し知恵を活かし合う手助けをできるなら、これは素晴らしいことじゃないだろうか。
余剰を活かし、異質なもののエッジ(境界)から生まれるものに期待するというあの思想は、素朴な世界でまだ利用されていない資源や合理的な方法を、人びとが手を携えながら発見するのに役立つ。
そうしてこれからの国・東ティモールでは、これから導入する様々なものも、最初から有機的循環に組み込めるようにしておくことができる。これは恐ろしいほどのアドバンテージだ。
エゴの推進する学校プロジェクトからは、そのような循環を国中のあちこちでデザインし実装する、そんな人材が、いずれ輩出されてゆくのだ。
■東ティモールを発見するパーマカルチャー
このアドバンテージを本当に活かすために必要なのは、パーマカルチャー・ガーデン以前の何ものかであると思う。外で出来上がった「パーマカルチャー農園のシステム」を既存の畑に置き換える発想だと、プランテーションとあまり変わらないように思える。もちろんプランテーションのような、その場に有機的循環を生まない収奪的システムはパーマカルチャー的に背理なので、そういうものができるという意味ではない。
問題は、外で成功したシステムをただスライドさせるだけの発想は、意味のあるものを自生させる根本の意味システムを破壊する、ということだ。そこにあるのは、対話の欠如だ。
パーマカルチャーとは有機作物を作るガーデンのことではない。自らを豊かにし続ける自然のあり方に敬意を持ち、学ぶ姿勢こそがパーマカルチャーである。
東ティモールのパーマカルチャー・ガーデン |
そのために、循環、多重性、多様性、合理性といった、パーマカルチャーが様々に磨き上げたすぐれた視点がある。Organicな社会がOrganicなガーデンを必要とするのであって、その逆ではない。
だから必要なことは、システムを導入する以前に、まずこの視点を導入することだ、と思う。パーマカルチャーという眼鏡で東ティモールの文化を見てみる。モノカルチャーに塗りつぶされる以前の農耕文化はどのようなものであったのか。そこにあった循環とは?
さらに植民地時代を経ているので難しいことだが、植民地以前、ひょっとしたらイスラムだったかもしれない時代、さらにもっと古いアニミズムの時代、そこにあったカルチャーに学ぶべきことは本当にないのか?
スペインのサンティアゴ(Santiago de Compostela)に行ったことがある。あの地の建造物は、ある近郊の場所から切り出した石しか使えないという。だからこそ街全体が醸し出す重厚な統一感がある。日本には麻の文化があった。今も由緒ある神社のしめ縄はおおあさだ。あの万能の植物と共生した持続可能な世界が、日本にはあり得た。
東ティモールにおいてはどうか。あの素朴で不思議な祠は、農産物や物質循環とどう関わっているのか。過去のライフスタイルの中に、なぜか世界中で禁止されてしまった麻のような、役立つものは無かったのか。他のもので、例えば石油製品で代替してしまって本当にいいか。
カトリック以前の伝統文化が今も残る |
逆に、外で生まれた発想は必ず正しいのか?そんなわけがない。例えば先に挙げたソイ・インクは良いソリューションに思えるが、それを作る資材や燃料が、外から来ているのでは永続するかどうかやはり分からなくなる。
依存している外の資源が枯渇したらどうするか。そのとき新聞がソイ・インクだから何だというのか。その新聞の余剰に大きく依存していたら、それが持たなくなったときに何が起こるか、そんな難しい話ではない。
むしろ失われた古いカルチャーに存在した地元の資材利用を復活させる中で、そこで生まれる余剰を新聞に使うくらいまで行ったとき、それこそが「東ティモールの」パーマカルチャーなのではないだろうか。
子どもたちに教えるべきなのは、ガーデンの作り方だけではなく、そのような様々なリソースを発見する方法である。そうして育まれるのは、自然や文化への敬意から生まれる、その場が潜在させた可能性の源泉に全身がワクワクしてしまう、そんな感性であろう。
■文脈を読み取るガイド
冒頭に挙げたPermaculture Guidebookを見ると、A Tropical Permaculture Guidebookというタイトルが目に入る。Tropicalとある通り、東ティモールのおかれた固有の文脈を意識している。さらにデザイン例として入っている挿絵は東ティモールらしい家屋が描いてある。書かれていることも「自然のパターンを読み取る方法」といった一般論に留めてある。これにより、読んだ人が東ティモールらしさを視野に入れつつ、自分なりのパーマカルチャーを模索することができるようになっている。
挿絵にはこんな家が描いてある |
さらに熱帯(Tropical)の畑の特徴として、なぜか「家から遠い」ということを挙げている。その上で、家の周りにFamily Gardenを作ることを推奨している。パーマカルチャーの視点から、改善点を指摘しているわけである。
またガイドは熱帯に付きものの乾季対策に灌水システムと、同時に蚊対策にボウフラを食べる魚を放つことを推奨する。その魚を食べることも可能であろう。そうして合理的・重層的にデザインを進めていくことができる。
乾期において水は大きな問題 |
熱帯を意識しつつ一般論に近いガイドと、東ティモール・テイストのイメージ。これによって東ティモールらしいパーマカルチャーが自然に実現していくよう意識されているのだろうと思う。
これに従うことで上に書いたような文化の深掘りが可能になるかは分からない。そこはやる人次第、というところであろう。
だからこそ学校では、彼ら自身の文化という視点を子どもたちに提示するといいと思う。それは単なる”舶来”の何かではないが故に、彼らがいつか自分自身に向き合うとき、彼らが自身の道を探る灯火となり、同時に心に火をつける種火となるだろう。
■東ティモール・ルネッサンスへ
だから、大変なことだと思うが、東ティモールの歴史、古くからの文化を読み解く中でパーマカルチャーデザインを進めるような、より深いソリューションを模索するプロジェクトが現れたら、素晴らしいと思う。それがあの素晴らしいガイドを、この国のために最大限活かす方法であるとも思う。さらにそれはおそらく世界に輝かしい希望を示すことだろう。
外国の支援者は、パーマカルチャリストや技術者ばかりでなく、むしろ文化人類学者に大いに力を発揮してほしいところだ。東ティモール政府にも文化的側面を重視してもらいたい。
大げさな話でもなんでもなく、人類的な未来に繋がる新たな学的沃野が、そこに広がっているはずだ。その成果は、いま先進国と呼ばれる国にいる人びとがいずれ頭を垂れ、大枚をはたいて学びに来るコンテンツになるはずだ。
それを東ティモールの子どもたちは当たり前に学んでいるのだ。東ティモールはいずれ世界に冠たる教育モデルを提示するだろう。
その道は遠くまで続いている |
古い文化を発掘しつつ新しいシステムを豊かにしていく。これはその場その時の循環を超える、時を超えた循環だ。時間をも織り込み続けるブリコラージュ、それがカルチャーと呼ばれる何ものかなのだ。
だから、横に滑らせるように循環を見るのではなく、国土の表面をこそいで水平にガーデンを滑り込ませるのではなく、”東ティモール”を深い部分から縦に吸い上げる。植物の根が豊かな土壌を吸い上げ、自由に枝葉を伸ばすように。そのとき、パーマカルチャーは”東ティモール”を立ちのぼらせる。
前回書いた、ユニークさの上に新たなものが導入されていく、とはそういうことじゃないだろうか。それがやがて何百年続く東ティモール・ブランドとなっていく。そんな風に思う。
そしてそのように東ティモールが東ティモールとして自由に枝葉を伸ばしていく、それこそが、彼らが生命をかけた独立闘争で守り抜こうとしたものではないだろうか。
東ティモールがポルトガルやインドネシアであると思う必要がないのと同様に、いま見えているものだけが東ティモールだと思い込む必要はない。むしろ東ティモールとは何であるのか、彼の国の人びと自身が考え、発見し、伝統からよきものを学び血肉としていく。子どもたちがそれを当たり前にできることをこそ、亡くなった人びとは守ったのではないだろうか。
もちろんそれはエゴ・レモス一人ではできないことだ。だからこそ国家的な、しかも教育省のプロジェクトとしてパーマカルチャーが動いているこの状況は、大きな意味を持つことだろう。
関連リンク:
世界に多様性を示す東ティモール――東ティモールから世界の未来へ(1)
千と千尋と独立のブランド――東ティモールから世界の未来へ(2)
パーマカルチャーと東ティモールの”エッジ”――東ティモールから世界の未来へ(4)
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