2017年1月2日月曜日

千と千尋と独立のブランド――東ティモールから世界の未来へ(2)



東ティモールは一時インドネシア領だったし地理的にも近いので、イスラム圏かと思いきやそうではない。複雑な歴史の影響もあり、文化的にはいろんなものが混じり合うユニークな国である。

ポルトガル、インドネシア、オーストラリアの文化が組み合わさり、同時に伝統文化もまたすごいものがあり、農を中心とした生活が営まれている。

ただ農といってもほぼ商品作物のコーヒしか作っていないモノカルチャーで、食べるものはお金で買う。主食の米もインドネシアからの輸入だ。


国全体としては近代化以前の段階ではあるが、近代的分業の典型・モノカルチャーはかなり進展している。これは効率はいいが脆弱で、仇敵・インドネシアがヘソを曲げたら主食がなくなる状況が端的にそれを示している。

外から来た様々な文化と伝統文化が同居するマルチカルチャーと、産業的モノカルチャーがせめぎ合う複雑な状況、それが東ティモールである。この状況はこの国自身にとって、どういう意味を持つのだろうか。

■文化的資源

東ティモールは宗教的にはカトリックである。なので教会もあり、同じカトリック国であるフィリピン人の出稼ぎも(不法滞在もw)多いらしい。


話を聞かせてくれたのは前回書いたとおり研修で行ったフィリピンNGOの一行だが、行ったら現地の人に道路全部作ってくれてありがとうと感謝されたらしい(笑)

この道路も?(笑)

国語はもっとも現地の使用人口が多かったテトゥン語で、公用語は旧宗主国のポルトガル語。インドネシア語も多くの人が話せる。通貨がUSドルにも関わらず、独立闘争後の取り決めで英語を選ばなかったことが、この国のユニークさを維持させる可能性がある。

近隣の大国・インドネシアの言葉を(話したいかどうかはともかく)話せることは、交易上の利点となるだろう。同じくバハサを共有するマレーシアは、既に先進国に片足を踏み出している。南米の大国ブラジルと公用語が共通するのも、何かの可能性を秘めているかもしれない。

通貨のUSドルは、これら新興国の通貨に対し相当に強い。インドネシア・ルピアは昨年、USドルに対し歴史的安値を付けたし、マレーシア・リンギットは近年最もパフォーマンスを落とした通貨の一つだ。そしてブラジル・レアルは暴落の代名詞である。

支援者にオーストラリア人が多いらしく、その影響かパーマカルチャーが政策に組み込まれていて、教育省では現地人のパーマカルチャリストが要職に就いている。

人柄的には歴史的に独立の気風高い、厳しい感じかと思いきやそんなことは全然なく、外人が行ったら本当に全員がいちいち挨拶してくれる、素朴な人びとらしい。車で移動してたら、いちいち声を掛けられてほとんど選挙カー状態になったという(笑)



■手付かずの自然と本当の伝統文化
自然は豊かに残っていて、首都以外は本当に素朴な生活らしい。


ビーチも山も森もあり、観光資源としては十分だ。

美しい山はハイキングコースに最高だ

文化的資源としては、伝統芸能もすごいものがあるらしい。しかもそれはイベントのときに倉庫から引っ張り出す何かではない。日常に生き生きと息づいているリアルなものだ。

素朴な生活の中に文化が息づく

バリのケチャ・ダンスとかにも思うのだが、観光用にショーで毎夜やってるようなのは、お寺の記念日などにやっている本物を見ると、いかにテキトーかが分かる(^_^;)

だから、本当に生活に根差した文化が今もあるというのは、実はものすごいことだ。日本だって秋にお祭りはするけど、あれは完全に生活と分離していて、参加する人の多くは米を収穫した喜びでやっているわけではない。

しかし東ティモールの儀式は、もっと意味深く、それに連なるあらゆる営為を人に学ばせる何かになるかもしれない。一部を分離され、倉庫やショーケースにしまわれているのではない、文化の伽藍がそこにあるのだ。

謎のナニカ

■それは強みなのか?

強い通貨、国際的に通用するコーヒー産業、東南アジアの中でも格段に安いであろう労働力。それに加えて先進国との宗教的共通性、近隣及び南米の大国の言語能力、この国は国際交易上、非常におもしろい産業的・文化的ポテンシャルを持っていることが分かる。

多くの文化が外から入ってきたものだけに、外との親和性が高く、それでいて競争力のある産業、通貨、労働力がある。通貨以外、貿易立国的な高度成長に移行する多くの条件を備えているのだ。通貨の強さも、労働力の安さでかなり相殺するのではないだろうか。

そして交易によってある程度ドルを貯めこんだら、いいタイミングを見計らい外のモノや技術を大量に買い付けることができる。アメリカの利上げのタイミングに合ったりすると、かなり有利な条件でインドネシアと交易できるはずだ。

そうして便利な機械を揃え、油をインドネシアから買い付け、コーヒー農園は一気に近代化できる。もう廃自動車で皮むき器を作る必要はない。これまでより格段の電気も必要だから、大きな発電所を作ればいい。急ピッチで電線を国の隅々まで通すのだ。

そしてそれが何を帰結するかは、我々はもう知っている。

そのルートでは、未開発の自然や様々な文化資本が、近代的開発により効率的に踏み潰された上でカネに変えられてゆく。この国の文脈とまったく関係ない――近隣アジア諸国のような――国に開発”してもらった”対価は、持続可能性を犠牲にしてでも農薬漬けの大規模プランテーションを作り、コーヒー生産を強化して、国土から絞り出して支払うのだ。

プーケットの繁華街はタイか?それは国土を差し出す価値があるか?

寄りかかれる自然はもうないので、近代的インフラの力で公害や伝染病を防がねばならない。それは便利だが維持費が恐ろしくかかるので、さらに国土を”開発”してカネに変えねばならない。

もっと大規模に、もっと効率よく、もっと生産性を高く…一方で新しく作ったモノを欲しがる客をCMで作り出さねばならない。伝統的なライフスタイルなんていまどきそんなもの!それは古い過去の遺物だと教え込まねばならない。文化?景観?自然?何を甘いことを言ってるんだ!

欲しがれ 欲しがれ



一度依存したら抜けられない、この近代サイクルにハマれば、例えばサブプライムローンが破綻するまで止まることはできない。破綻しても止まることはできない。日本の高度成長も、最初の10年は意味があったと言われている。しかし絶対にそこで止まれないのだ。

失ってはならない価値を失ったので、破壊をためらうことはない。大切なものを築いている感覚のまったくない仕事は心を蝕み、その傷を埋め合わせるべく、カネやモノが無意識に、大量に必要とされる。

”舶来”に煽られ、誇りを文化と共に捨てたことの、それは直接的帰結である。産業でなく、カネでなく、武器でもない。その国固有のブランドこそが歯止めであり、資源だったのだ。ブランドを失った国に必ず垂れ下がり、文化的景観を遮る電線が、ある種の象徴だろう。

日本では、アスファルト化した歴史ある参道を無数の電線が遮る

だから、外との親和性やモノカルチャーは、そういう意味でとても脆弱なのだ。フィリピン人が道路を作ったように、それは確かに外部の助けを得やすくしている。生産的な農場は今どうしても必要な食い扶持でもある。しかし同時に、東ティモールを盲目的に近代化して、他のアジア諸国と同じどこの国か分からない文化的出がらしにしてしまう下地でもある。それは高度成長が終わった後の世界では、経済破綻と同義である。

素朴な村々の下では、ぐつぐつと変化が煮えたぎっている。そのエネルギーを良い方向に活かすために、どっしりと構え、時間をかけて社会を適応的に進化させてゆくべきだ。英語が通じないことがむしろ、地滑り的な拙速の歯止めとなる、本当の強みかもしれないのだ。テトゥン語を始め、各部族の持つ言語に誇りを持つことこそ、今この国に必要なことではないだろうか。

■ユニークさの上に

いずれ必ず訪れる、開発やモノ作りで経済が回らなくなったそのとき、文化や景観は唯一の外貨獲得手段となる。自然は人びとを文字通り育み食わせる。大量の生産物を売るのに特化しなければ、適切に人が関わる里山は理想的で無料の生活インフラだ。そしてその全てが近代化の過程で消失のリスクに晒される。

近代的なコンクリートの街がいいならNYに行けばいいので、中途半端で、風土に適っていない、更新できず老朽化したビルが並び、電線が醜く垂れ下がる、ヒートアイランドでクソ暑い、不快なところに来る必要はない。

スコールがアスファルトを襲うバンコク

東ティモールは今、朽ちて醜く危険になるばかりで使いようのない巨大インフラなど背負っていない。ずっと浄化装置で抑えつけていないと環境が一気に汚染されるような化学物質を生活に入れていない。何よりそういう世界中が背負った傷のようなものの周辺に、仕事を依存していない。

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水は美しい水源から汲み上げるもので、浄水場から来るものではない。自然に寄りかかっているだけで、清潔で健康に暮らしていける。

美しい水を湛える水源
(「水源保全活動の成果が少しずつ形に。 « APLA (Alternative People’s Linkage in Asia) / あぷら」より)
美しい自然、統一感のある伝統的町並み、世界のどこにもない習俗・美術、CMに汚染されず他者比較と無縁の朗らかな人びと。


そういうものこそが、近代化でそのすべてを失った人びとを惹きつける。インドネシアやマレーシアで台頭する中間層のツーリストが、自国で失われた豊かな自然を求めてやってくる。文化的魅力があれば、教養ある富裕層が別荘や隠棲地としてこの国を選ぶ可能性もある。彼らはみなここに来て、母国語で不自由なく話せるのだ。言語的共通性はそうしてこそ生きるはずだ。

そうしてベースのユニークさに手を掛けることなく、近代の便利さや清潔さといったものを導入していけばいい。核となるユニークさを伝えるために共通性が使われるのであって、その逆ではない。脆弱な強みで武装する必要はない。この国に入り込んだモノカルチャーがうまく解除されるかは、一つの重要なメルクマールとなるだろう。

訪れる価値のあるもの

結局、強い自分ではなく、強く自分であること。共通性は多様性の手段でしかない。

外来文化、伝統文化、産業的モノカルチャーが入り混じるこの状況が、そのように統合し昇華することができるか?それは東ティモールはこれからも独立し続けるのか、という問いでもある。それが実現するとき、「東ティモール」は独立闘争の記憶とも共鳴し、自文化を生きる人びとの誇りを静かに裏打ちするブランドとなるだろう。そしてそれはおそらく、今の世界の誰もが手にしていない「独立」なのだ。

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