日本には美しい場所がいくらでもある |
相手のニーズを知り、それに応えてつながりを作り、入りたいところに入り込んでいく。一緒にやってほしいと思ってもらう。いいと思ってるところがあるんなら、そうして入り込んで、早く始めればいいじゃないか。そう急かした人もいた。が、そのニーズに応えるという考え方がまず受け付けん。そして人が考えてるとこに早くしろなどと言ってくるのが息苦しく気持ち悪い。
なんかもっともらしいけど、やはり自分がどういう感じで関わりたいか、どう価値を表現したいかを置き去りに、まずベースを作ってしまおうというのがどこか病んでるように感じる。それらは不可分でないかな。そしてベースは弱々しくともいろいろ表現するうちに、気付いたらできてるもんじゃないかな。
自分なりに何かをしようとするときに、それを始めるためのベース作りに関しては自分なりに感じたものを度外視せよと言ってるに等しい。明らかに矛盾を人に強いている、と思う。一緒にやりたいと思ってもらう、というのは何かの営業に見える。勝手にそうなってることが大事で、そこに作為などいらない。
やっぱ自分がしっくり来るまで、漂流するのがいい。その間に徐々に徐々に必要な物が積み重なってくる。
それは移住候補地の情報、という意味ではない。それよりも自分の感覚が自分で分かってくるということ。ああ自分はこういうことをいいと思うんだ。こういうのがイヤなんだ。そういうのを互いに引っ張り出し合う。その先に初めて何かの協働がある。そういう付き合い以外したいと思わない。
やっぱ自分がしっくり来るまで、漂流するのがいい。その間に徐々に徐々に必要な物が積み重なってくる。
当初候補地に考えていた糸島 |
それは移住候補地の情報、という意味ではない。それよりも自分の感覚が自分で分かってくるということ。ああ自分はこういうことをいいと思うんだ。こういうのがイヤなんだ。そういうのを互いに引っ張り出し合う。その先に初めて何かの協働がある。そういう付き合い以外したいと思わない。
「入り込んで」「安い家をゲットするために」自分を本当には出さずに相手に合わせるっていうのかい。その後でやっと自分を出して何か活動を始めると。俺はそれは卑しいと思う。嘘で人を引っ掛けてる。厳しすぎ?そんなことないよ。むしろそこを曖昧にしないとホッとする。
自分がホッとする方向に。その感覚を灯火に、私は安心して迷い続けております。それがあるかぎり、ホームレスになっても平気です。たぶんならんけど。
なぜならんかというと、嘘ついて「ニーズが合う」人だから仲良くするというのをやらなかったので、そういう感覚が分かる友だちと繋がることができたからです。少数だが心置きなく頼れる。俺もいつか誰かを助けるようになろうと思える。
候補地の一つの山間地 |
その誰かはやはり友だちになれるような人であって、ニーズが合う人ではない。自分と利害がなくても、何か一緒にやってるわけではなくても、本人が本人なりに精一杯楽しみながら何かをやっていることをうれしく思う。元気も出る。
「WORST」5巻より(・∀・) |
そういうこととニーズが合うかどうかは全然関係ない。ニーズで回る世界は効率的に人を置き去りにしていく恐ろしい世界だと思う。
見た目にどれほど美しく、条件がよくても、友だちがいない世界は地獄だ。そこでは誰もが相手のニーズに合わせて自分を抑えた嘘をつきあい、嘘をつかない人間の口を塞ごうとする。その世界は罪悪感で回っていて、それを感じない人間には同じ罪悪感を感じて”ちゃんとする”よう、細かな揚げ足を取ってモラハラを仕掛けねばならない。
そうして全員が窒息しながら現実からどんどん乖離してゆく。
世界が本当に恐ろしいものになる前に、ローカルな関係を卑しいものにしないようケアせんとな。日本は手遅れぽいが、日本がどうだろうと自分は平気です。それは自分が間違わないからではなく、間違うことに罪悪感などないから。そう感じさせてくれる人たちとあちこちで出会えたから。
いい加減なやつだと嫌がらせをしてくる人間はどこにもいるけど、自分がもっとも絶望するのは、それを曖昧に笑いながら放置する人びとです。いくら条件のいいところでも、そういう恐ろしい世界に自分は住めない。というか人間でいたいと思ったら、そんなところにいられないはずだ。
「迷惑を掛け合うんが人間の自由や」と数学者の森毅が言ってたという。けだし名言だと思う。
”しあわせになるのには べつに
だれの許可も い ら な い!”
>>人間でいたいと思ったら、そんなところにいられないはずだ。
返信削除人間として生きるって、どーゆーことかなあと、小生のちっぽけな脳みそを駆使して、これまで漠然と考えてきました。
家族間であっても、迷惑をかけないようになどとの義務感により自分を押し殺して過ごしてきてしまった我が半生を振り返ると、あーあれはやはり、人間を蔑ろにする社会に適応しようと試みていたのだなあ、と思うと同時に、途中で生きることを投げ出さなくてよかったなあとも思いました。
代償として、他者のニーズを汲み取ることに異様に長ける形で適応しつつある自分の姿を見つめるとき、ある種の空虚さのようなものも感じますが、自分が幸せになることを自分で認めてあげようと、しんさんの文章を読んで改めて感じました。
日が暮れて、庭で秋の虫がたくさん鳴いております。
「家族」も含め、この世はいろんな呪いがあるので、イヤなもんはイヤじゃ!を貫けばよろしい(笑)虫の音かー日本の秋はいいなーー
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