2016年11月15日火曜日

冷蔵庫はひょっとしたら足かせかも?自由とは土とは家族とは何か、冷蔵庫の無い生活が思考を誘う



九州潜伏時は、冷蔵庫も洗濯機も無い生活だった。
そういう普通にあるものが無い前提で暮らしてみると、見えてくる本当に必要なものというのがある。

住居があれば後は100円ショップで1,400円も出せば生活に必要なものは揃う
むしろそれ以外のモノはいったい何に必要なのか分からなくなるほどだ。

しかし冷蔵庫が無いのは確かに不便だった。

自分はよくミートソースパスタを作るのだが、そのときに作り置きが難しい。

だってミートソース、一回作ったらだいたい4~5食分くらいはあるのだ。
だからどうしても即席麺とか食べきりサイズのレトルトに頼ってしまう。

幸い潜伏したところが山間で涼しかったので2日で食べきれば大丈夫だった(時期的には秋、10月)。

が、それでも最後の1食などは微妙なコクがあって、やはりギリギリ感があった( ̄▽ ̄

美しい山あいの町

しかし今回のように短期の仮暮らしならともかく、ずっと住むならやはり冷蔵庫は必要なのだろうか?

いろいろ考えてみた。

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■冷蔵庫を持つデメリット

冷蔵庫があるメリットはまあそんなに考えるまでもない。
でも持っていることのデメリットって無いんだろうか?

電気代が段違い

想像がつくと思うが、冷蔵庫は使うと電気代が跳ね上がる。

バリでは室内の電灯とスマホやらの充電にしか使わないので、電気代は300円くらいであったが、冷蔵庫を入れると一気に2,000円くらいになるという。

バリも仮暮らしだったので冷蔵庫を買ったりはもちろんしてなくて、ありがたいことに近所の人のや大家さんのを共用させてもらえた。

自分が置かせてもらったのはビール、水、作りおきのミートソースや牛丼くらい。
庫内のほんの一角があればそれでいいのだ。

冷蔵庫もそういう死蔵してるスペースが各家庭にたくさんあるわけで、それだけ無駄にズンドコ電気使用量を増やしてしまっている、ということでもある。

身軽になれない

さらにああいうでかい家電を買うと、引っ越しが面倒になる。
身軽に生きるにはモノを増やさないことや、自分で部屋を借りたりしないことが重要だ。

自分は膨大な断捨離を経て、荷物は段ボール4~5個くらい、部屋は引き払って日本滞在時は実家暮らしだ。

日本にいるときも国内を動き回っているので、実家には短期しかおらずそこまで邪魔者扱いもされない( ̄▽ ̄

しかし自前の冷蔵庫や洗濯機があったらそうはいかない。
実家に置いてなんて言ったらめっちゃ怒られそうである(笑)

だから、ああいう大きなモノは断捨離の最右翼に考えるべきものだと思う。

■冷蔵庫もいろいろある

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とまあデメリットを考えると、ではそういうデメリットが無い冷蔵庫があればいいんでないか?ということに気づく。

要するに

  • 電気を使わず
  • 引っ越しの段ボールに入るような大きさ

であればいいわけだ。
そんなもんあるか?!と思うでしょうが、実はあったりする。

電気を使わない小さな冷蔵庫

ここにいくつか電気を使わない冷蔵庫の例があるのだが、

>> 電気を使わず食料品を冷やす<冷蔵庫>節電になってエコでいいですね。 - 電力自由化ライフ

この中で、鉢と砂を使ったZeer Potというのがよさそう。

テラコッタ?という鉢でないとダメなようだ。
釉薬がポイントなのだろうか?

たしかソーラー女子という人だったと思うのだが、ソーラーでマンション暮らしをオフグリッドでやってるという人が、このZeer Potを併用していたように思う。

そんな記事を読んだと思うんだけど記事がもうなくなってて(^_^;)

なお一応言っておくと、自分は廃棄の問題レアメタル採掘者の犠牲を思うと、ソーラーを使うのには今のところ反対です。

オフグリッドは大事なことだと思うので、電気は小水力や、もっと言えば地場の木を使った水車でやれたら最高だなあ、と思っている。

日本では難しい?

それはともかくこのZeer Pot、残念ながら日本ではあまり機能しないらしい。
砂漠地帯みたいなところが条件的にいいんですって。

>> 電気を使わない冷蔵庫の仕組みとは | R25

だからこれを日本で使ってる人というのは、普通の冷蔵庫の効果は望めないけど、割り切って補完的に使ってるってことなのかな?と思っている。

自分がいた山間地はミートソースが2日は持ったので、これで保管したらもうちょっと持つのかもしれない。

簡単そうなのでいつか試してみたいと思っている。

■ご縁を紡げばそもそも冷蔵庫はいらないかも

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またミートソースがもたないことは、必ずしも冷蔵庫を買わねばならないことを意味しない。

野菜や余りものが腐ってしまうというのが問題の核心である。

既存の思考枠組みから自由になるだけで、それは対処可能に思える。

キッチンガーデンで解決!

例えば庭にキッチンガーデンがあったらどうだろう?
その日必要な分を取ってくればそれでいいじゃないか!

東ティモールのパーマカルチャー・ガーデン

さらに家族がいたらどうだろう。その日や次の日くらいでまず食い切ってしまう。だから腐らない。

家族ってなんだろう

それはさらに家族って何だろうということにも思考を誘う。

知り合いの女性で、もう50だしお一人様で集まってお一人様シェアハウス作ろうかな~みたいなことを言ってる人がいた。

これは本質だと思う。

だって核家族じゃ他の仕事しながら農作業なんてやり切れないかもしれないし、作ったものも大家族に比べたらかなり余りやすくなってしまう。

「核家族」に押し込められてるとそうなる。

ワードがアレかもなんですが、要するにセックスが絡む縁でないと家族であってはいかんのか?ということね。

冷蔵庫って、土から離れ、そして人の縁から離れるから必要とされるのかもしれないよ。

冒頭書いた電気代とか断捨離とか、そういうのを遥かに超えた問題を、大げさなことを言えば人を分断する近代のシステムを、内に孕んでいるのかもしれないのだ。

■自分ならこうしたい

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自分はシェアハウスは密な共同体みたいで嫌だけど、コレクティブハウスなら住んでみたいと思う。

そして共有するキッチンガーデンがあり、大きな「家族」で作物を分け合ったら、冷蔵庫無くても一切無駄なし!

みんなで共有する自然農ガーデンとか、想像しただけでワクワクするじゃないか!(^o^

そしてその「家族」もいずれカッコつきでなくなる日が来るかもしれない。
冷蔵庫を使わない生活から知恵を出したらそうなる。実は意味のない前提に気づく。

冷蔵庫は必ずしもいらないし、逆に足かせにもなる。

それはたまたま成立しただけで、実は根拠のない「家族」の区切りによって必要となっているのかもしれない。

そういう見えない前提を見直せることが、いろんなものが「無い」生活なのであった。
決して貧乏人の強がりじゃありませんよ(笑)

つらつら思いつきで書いたけど、大事なことに思えるんよなー。


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