2015年12月23日水曜日

遠い日の忘れもの―情報時代の野蛮人から(3)



※この記事は、

インドネシア、原発とブランド―情報時代の野蛮人から(1)

ブランドなき国の植民地化―情報時代の野蛮人から(2)

の続きです。


植民地化されたブランドなき国で、人々は価値が何かを問うことを許されず、与えられた物語に没入することを強いられる。

どのようにしてこんなことが始まり、何十年と維持されるのだろう?


”繁栄という名の、そう繁栄という名の、繁栄という名のテーマであった”

■”それでいいんだ”
私たちを取り囲む中身の無い物語が、誰の、どのような動機で、どのような手段・経緯で作り上げられたかはもう詳述しない。ポダム、マッカーサー、大統領選、昭和の妖怪といったワードを調べるとなんとなくその起源が浮かび上がるだろう。



それぞれの無責任でさもしい動機が絡み合う中、人々を振り回すむちゃくちゃな搾取システム――植民地――は総括されることなく維持され、さらに作り上げられた。

人々は、自分たちの持つ恥知らずな村八分のエートスを見抜かれ、CM経由で垂れ流されるイメージで相互監視へと追い込まれていった。

これに追随すればムラで一人前の顔をしていられる、しなければ陰湿な村八分が待っている。

そうなることを操作者たちは知っていた。さらにムラの中にしがみつく人間には、それなりの報酬も娯楽も与えられた。仕事で何があろうと家庭には持ち込まず、ビール片手に観るナイターでジャイアンツが勝てばそれでよかった。


”かしこい僕たちは、愉快な人生を送ろう”

しかし人々をこのアメとムチのシステムに没入させる上で、もっとも有効であったのはやはり日本ブランドの破壊であったように思う。「仕事」の名のもとに次から次とダムで、護岸で、金融で日本を叩き壊す、その実行犯にさせられること。

実行犯たちは、薄々何をしているか分かっている。しかしそれを考えることは許されない。これは人間にとって、本来耐えられないひどい仕打ちだったのではないだろうか。

酒を飲んでいた時、国土開発を国から請け負う会社の社員が酔った挙句にこんなことを言った。

「そのシステムはここの農地に水を供給するために必要ということになっている。そのためにその地域の人々は追い出される。でもそんな農地自体が存在しないことなんて俺は知ってる。だけど俺は自分の技術でモノがちゃんと作れたらもうそれでいい。それでいいんだ!

自分にはそれが悲鳴にしか聞こえなかった。

■遠い日の忘れもの
自分のやったこと、やる上で深く考えることを避けたこと、感じていた違和感を無かったことにしたこと――そんな自らの卑怯な振る舞いに、本当に平気でいられる人はいない。しかしそれが山と堆積したとき、人はそれを直視できなくなる。

しかもそこで人々がそうと知らされぬままに破壊したのは、日本人に「大切な価値とは何か」を考えさせる、日本ブランドだった。

この美しい島国の海岸線の3割はもう、コンクリートに覆われてしまった。沖縄の西岸もダムの残土の処理と、ダムと護岸の2重の利権のために使われ、美しい海岸線のほとんどが「安全」になった。そんな話を聞いたことがある。さもありなん、と私は思う。

自分の感覚を遮断させられ、それでやらされることは、そこから回復するためのリソースを自分の手で叩き壊すこと。このグロテスクさは、まさに植民地のそれだ。

圧倒的な絶望の中、精神の崩壊を防ぐためやがて感覚は無意識に潜る。自分が何に加担し、他ならぬ自分がそれをどう感じていたかはもう意識に上らない。

遠い昔に何かいろいろ考えていた気がする。でももうそれが何だったかは忘れてしまった。きっと卒業すべき青臭いことなのだろう――なぜそう思うのかは分からないが。

「自分に向き合わないために仕事をする」「仕事をしていればお互いに後ろ指をささないことにする」無責任なシステムがこうして出来上がる。

■繁栄という名の
システムは、魅力的にウィンクしながら「大人になれよ」と耳元で囁く。「これは破壊なんかじゃなく時代の流れで、君に責任はないんだ」。何を言っているのか分からないが、君は無理して少し笑う。やがて無理しなくても笑ってみせられるようになる。

それでも君はときどきあえぐように空を仰ぎ、これは何だと問いたくなる。

システムが再びウィンクして、TVを指差す。「言ったとおりに頑張れば、CMの中のものが全部手に入るじゃないか。人間扱いしてもらえるよ」。気晴らしを手に入れて、君はまた少し何かを忘れる。

いつも何かの脅しを、あのウィンクは含んでいる。お前が何を手に入れようと、何が正しいかは決めさせないと言っている気がする。

空は鉛色に覆われる。その向こうに何かが隠されたようだが、もうそれは遠く見えない。

植民地の支配者が密かに笑う。

そうして数十年が経ち、君はCMの中のモノをすべて手に入れた。なのに、どうも日本は破綻するらしいと聞かされる。そんなことがあるわけがないと、君は笑う。なぜそう言えるかは分からない。これまでそうだったから。これまでも根拠など――自分など――ずっと無かったのだ。

くだらないことを忘れ、君は子どもを何とかして東大に入れる算段に頭をひねる。

子どもが空を仰ぎあえいでいるような気がする。その弱さを君は憎む。「克服せねばならない」と君は囁く。



子どもは当惑して君を見上げる。

「頑張ればCMの中のものが全部手に入るじゃないか」と君は言う。

遠い日に忘れたものを取り戻せばいいのに、と私は思う。目の前の子どもが、それが何かを見せてくれているのに。

続く

スポンサーリンク


スポンサーリンク


0 件のコメント:

コメントを投稿