2015年12月21日月曜日

インドネシア、原発とブランド―情報時代の野蛮人から(1)



2015年も年の瀬、12月12日にJakartaGlobeから驚くべきニュースが流された。

Indonesia Vows No Nuclear Power Until 2050
http://jakartaglobe.beritasatu.com/business/indonesia-vows-no-nuclear-power-2050/

インドネシア、2050年まで原発拒否!

80億ドル規模のプロジェクトをキャンセル!

大統領がジョコウィになって以来、エネルギー問題は原発で、農業振興はGMOでという路線が見え隠れして暗い気持ちになっていた。

しかし、少なくともエネルギーについては亡者の喰い物にされることを、インドネシアはキッパリと拒絶したのだ。

■狂気の沙汰を回避したインドネシア
記事を追ってみよう。
“A previous proposal to build larger-scale plants on Central Java's Muria peninsula and in Bangka-Belitung met with resistance from local residents who feared leaks on the scale of the Fukushima disaster in equally earthquake-prone Japan.”
”日本と同じく地震の脅威がある。福島レベルの災害を恐れた地元住民の強い反対運動”
日本の教訓がまだしも生かされた。素晴らしいと思う。
“The minister added that Indonesia will continue to follow developments in the field of nuclear technology and that it would remain a last-resort option for possible use beyond 2050.” 
”2050年度以降の最後のオプションとして、原子力技術はフォローし続ける”
だから、それまでにエネルギーに頼り過ぎない社会を構築すればいい。廃炉を勉強して世界に貢献してほしい。文教都市バンドゥンには優秀な理系学生がたくさんいる。彼らが誇りを持てる仕事を作るのが、大人の使命というものだ。

そうしてインドネシアは、社会としても、技術力としても、世界に冠たる国家となるだろう。イスラム世界の希望の星といっていいし、誰をも犠牲にしない真の多文化共生社会を実現したと胸を張っていい。

折しも日本と同じく火山国であるインドネシアでは、21もの火山がアップを始めている。

Indonesia volcano shoots new blast; 21 more rumble
http://www.seattletimes.com/nation-world/indonesia-volcano-shoots-new-blast-21-more-rumble/

火山国でなかったらいいという問題ではないが、この国で原発などそもそも狂気の沙汰なのだ。

■インドネシアのブランド力
この決断によってインドネシアのブランド力は一気に上がった。そもそも東南アジア唯一の南半球国であり、原発ひしめく北半球より放射能漏れの影響を受けにくいため、インドネシアは一つの隠れたブランドであった。実際、それを理由に移住した日本人家族もいる。

この決定は、その隠れたブランドと共鳴し、大きな相乗効果を上げるものだ。

日本企業がしばしば忸怩たる思いで、あるいは逆に誇りを持って痛感するように、モノの生産販売は有限でも、ブランドの価値は無限だ。フランスのファッション産業を見れば、それは一撃で分かる。

東南アジアでは、日本の製品の品質への絶大な信頼を感じることが多々ある。中国製の数倍しても、お金さえあれば日本の製品がほしいという人はたくさんいる。

同時にiPhoneを作る技術はあっても、そもそも企画することができない。卓越した技術を無限の価値に繋げることができない人々としても、受け止められているのではないだろうか。

その毀誉褒貶相交じるのが、日本というブランドだ。

だから、ブランドは何かのロゴマークのことを意味しない。石井淳蔵の言うように、シンボルを介して喚起される、コミュニケーションの渦こそがブランドの正体だ。



ブランドはそれを求める人々に、あるいはブランド自体を選択するときに、”自分が本当に望むものとは何か”と自問させる。

ブランドはそれを紡ぐ人々に、”あなたが安く売り渡せないものとは何か”と問いかける。

いずれにせよそれはプライドと関係するものだ。だから、”あなたにとって誇りとは何か?”ということが、両者に同時に問われている。

この問いに”金だ”と答えるのは難しい。そう言った瞬間、ブランドは地に墜ちるだろう。無限の価値を手放した瞬間だ。

インドネシアはそれを手放さなかった。

人々をシステムの犠牲にしないこと、そういうシステムを構想しリードすること。そこにこそシステムを仕切る人々の本当のプライドが存在しうるはずだ。そして

Pride makes brand.

このニュースが伝えるインドネシアの方針転換は、
  • 誰をも犠牲にしないという決断であり、「多様性の中の統一」というインドネシアの標榜を裏打ちするものである。
  • インドネシアでは愛情は金で換算されず、命は金の比較対象と見なされないことを示している。
  • インドネシアはサステナブルな国家として成立する可能性を捨てなかった。
  • インドネシアは国民が”国のために”プライドを捨てることを強いたりせず、「そう決まったから」の一言でプライドと仕事の両方を安く放り出したりはしない。
  • インドネシア政府は国民のために自らを見つめなおし、学習し、作動を変えるのだというメッセージでもある。
インドネシアは、権力を持つものが陥りがちな”コミュニケーションのフリ”に堕することなく、国民に本当のコミュニケーションの場を開いた。政府は国民が真剣かつ対等に、”自分の望むものは何か”と問うた結果をフィードバックしてほしいと思っている、そう示したのだ。

もちろんこれによってエネルギーの逼迫という問題は残存する。国民は自らを高く保ち、国に寄生せず犠牲にもならず、対等であることを求められる。

インドネシアというブランドは、そういうものとして一歩を踏み出した。

これでバリに来る人が増えたらうれしいな、と思う。このニュースを聞いてインドネシアへ向かう人は、人間の未来を本当に考えている人々だから。

インドネシアは、国内外のそういう人々が出会い、語り合い、実践する、コミュニケーションの磁場として機能し始める。

この決断の正しさはそのようにして、もっともよく証明されるだろう。

続く
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