2015年12月23日水曜日

再植民地化に背を向けるインドネシア―情報時代の野蛮人から(4)



※この記事は、

インドネシア、原発とブランド―情報時代の野蛮人から(1)

ブランドなき国の植民地化―情報時代の野蛮人から(2)

遠い日の忘れもの―情報時代の野蛮人から(3)

の続きです。


植民地は何より人の心に宿る。植民地の奴隷は憎悪や搾取を愛と言い換え、お前に正しいことを教えてやる、お前も同じになれと迫る。自分がそうされたように。

植民地は一度作られてしまえば世代を超え、宿主を変えて再生産される。だから、伝染されない社会的領域が存在することはとても大事だし、その領域を徹底的に護り育てなければならない。

はっきり言うがインドネシアは、固有の文脈も何もない、もうどうでもいい汚いだけの町も多い。しかしインドネシアはとても広い。そんな町から1時間も離れれば、伝統的な家並みが残る、自然豊かな地域も多く残る。ただし残念ながら自然、特に水は汚染されていることが多い。

スマトラの伝統古民家は釘1本使わずに建てられている
スマトラの伝統的家屋が立ち並ぶ界隈
そういう領域の文化を護り、自然を回復する。そうすることで社会は植民地化を逃れる可能性を得る。その誇りある動きの中にブランドは立ち上がり、さらにその誇りを励ますからだ。

■再植民地化に背を向けるインドネシア
豊かな資源を持つがゆえに、ともすればオランダ病に傾くインドネシアは、一つ間違えば坂道を転げ落ちるように、より直接的な経済植民地への道を辿りかねない。

※オランダ病とは、資源国が、資源の切り売りだけに依存し、自前で何も産業が作れない状況を指す。高じると外国企業への隷属や資源の枯渇、その後の大破綻を引き起こす。

自らの資源を枯渇するまで自分で収奪し続けるのか。しかも、その技術を持つ外国企業に入り込まれて、収奪した上前をとことん搾取されるのか。
  • 自前で作れない超巨大・高額技術、
  • しかもよりによってまったく未来の無い原子力技術に、
  • さらによりによってエネルギーという国の根幹を依存するなど、
その不毛な選択肢の究極形といっていいものだ。このニュースが伝える決定は、インドネシアが再び馬鹿者どもの植民地となることを拒否した、ということも意味するのだ。

そして自らの国土を守る決断は、モノ作りが終わった後の時代にまで生きるものだ。

モノが行き渡ったときに、まだ残る美しい自然、文化。それは世界中の金持ちを惹きつけ、もうモノ作りでは稼げない経済システムを文化立国へと転換させる。

バリがこの文化と景観を維持し、自然を、殊に水質を回復できたら、おそらくその典型的成功例となる。

バリの美しい緑には、大量のプラスチック・ゴミが隠れてもいる
エネルギーを湯水のごとく使えない状況は、そういう意味ではむしろプラスかもしれない。これ以上、汚染の進行にエネルギーを与える必要はない。制約の中、あほのようにエネルギーを浪費しなくても幸せに生きられる、そんなライフスタイルや、それを支える創造的な産業が生み出されるかもしれない。

豊かな資源がありながら浪費しない。ゆるゆると近代技術を入れ、辛い労働から人を解放しつつ、急激な変化で文化と自然を破壊しない。

それが何百年と続く王道楽土ではないだろうか。インドネシアには、それだけのポテンシャルがあるのだ。



■学習のエートス
そして植民地化を拒否した社会が何より次代に遺せるのは、自分で考え、コミュニケートし、学習し続けるエートスだ。

一つ、その萌芽を示そう。

インドネシア、レジ袋の有料化へ ゴミ問題解決が課題
http://bali.keizai.biz/headline/29/

ここに、”美しかったバリの景色がプラスチックゴミに汚染されていく姿に心を痛めた””バリ人の姉妹が始めた運動「バイバイ・プラスチック・バッグス」”が紹介されている。

バリ人の若い世代が始めた、ということが重要なポイントだ。

この社会は思考し、学習し、コミュニケートし始めた。自らの心の声に耳を傾け、価値あるものとは何であるかと問い、不都合な真実にたじろぐことなく行動を始めた。

ここでメタに示されているのは、バリ・ブランドとは何かという問いだ。人々の持つ既存の価値基準では、彼らの感じ取ったバリの価値を示すには不十分だと言っているのだ。

ブランドなき社会では自分に向き合い大きな流れに疑問を呈すると、脇目をふらずに言われたことをやれ、と圧力がかかる。しかしこの社会は、それを”脇目”と呼ぶことなど許しはしないだろう。自分の感覚を深く汲み取り、向き合い、思考する。互いのそれを守りぬくことこそが、プライドの源泉であり、ブランドの本質なのだ。

バリの価値は何であるかを問うことは、バリ・ブランドが存在する社会では重要な事だ。だから若者が州知事に何度も直談判できるほどのコミュニケーションが巻き起こる。ブランドが価値を問い、想像し、さらに創造するコミュニケーションを吸い寄せる、求心力となる。それは必然的に、学習し続ける社会でもある。

インドネシアが回避した植民地化とは、こうしたことの全てを売り渡すことである。感覚を遮断し、思考停止しなければ、原発など入れようがないのだから。

続く

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