2015年12月23日水曜日

RAW LIFE―情報時代の野蛮人から(9)



※この記事は、

インドネシア、原発とブランド―情報時代の野蛮人から(1)

ブランドなき国の植民地化―情報時代の野蛮人から(2)

遠い日の忘れもの―情報時代の野蛮人から(3)

再植民地化に背を向けるインドネシア―情報時代の野蛮人から(4)

オランダ病から情報社会へ―情報時代の野蛮人から(5)

情報社会と情報コミュニケーション―情報時代の野蛮人から(6)

情報社会とIT―情報時代の野蛮人から(7)


の続きです。


■情報時代の野蛮人から
インドネシアは資本の暴走から、国民と国土を守ることを選んだ。再び植民地となることを拒否した。そして気高いブランドに支えられた、真の情報社会への道を開いた。

情報時代の野蛮人ひしめく国の民から、敬意と祝福を捧げたい。その国の民は、膨大な情報に溺れることで真実から逃げまわる。恐怖を笑い飛ばして、無かったことにする。

せっかく無かったことにしたものを有ると言うな、と互いを監視する。そのためにITも駆使される。自分の真実を語る者は炎上の憂き目に遭う。技術に支えられた非国民ゲーム。

恐るべき労力を注ぎ込んで稼いだ富を、恐るべき勢いで宗主国に吸い取られていることも「無かったこと」の一つだ。

負担額ナント1兆円!それでも日本政府が辺野古に新基地を作りたい理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/45067

株式売買状況  外人、売越7846億円(前週売越1.04兆円)  個人、買越931億円(前週売越1145億円) 
http://www.jpx.co.jp/markets/statistics-equities/investor-type/index.html



日本ブランドは自分で壊してしまってもう無いのだから、ご主人様からおこぼれをもらわなければならない。

辺野古事業、防衛省の天下り先が8割受注 730億円分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160103-00000009-asahi-pol

差し出す1兆円に比べたらかわいいものだが、ご主人様のおこぼれなのだからこれくらいで満足するのが分というものなのだろう。

野蛮人は歌う。


”俺は明日も働くよ 昨日よりももっとタフに ビタミン剤を飲みながら 俺のことを笑えるかい?”

インドネシアは、一時は金を持っただけの動物と呼ばれ、結局その金さえ失った愚かな野蛮人たちを、胸を張って笑っていい。

■RAW LIFE
インドネシアはお金こそ潤沢でないかもしれないが、文化の多様な国だ。そこに巻き起こる、多様であることを歓ぶコミュニケーションによって、それらは互いに共鳴しあうだろう。巨額のカネがなくても、面白いことがいくらでも産み出されるのは必然だ。

外国から来た面白い人々が触媒となり、それをさらに促す。多様性の上の多様性が次々と産まれてゆく。

バリの森を守ろう! 日本人とバリ人による森林復元活動、今年も始まる
http://bali.keizai.biz/headline/35/

バリのゴミ問題:Bye Bye Plastic Bagとは?
http://suwarubali.com/bbpb/

希望の苗はこうして植えられてゆく。

それはCMが垂れ流す虚飾で自らの生を覆いつくす人々や、粉飾に粉飾を重ねて夜郎自大に陥る社会にはできないことだ。

インドネシアの国是が言う「多様」とは、それぞれがそれぞれであること。それを当然のものとして許す強靭な寛容が、生から虚飾を引き剥がし、それぞれのナマの自分が現れゆく。

そんな中で生まれる新しい文化とは、どんなものだろうか。きっと世界にも稀な、ユニークで、希望に満ちたものに違いない。

日本もまた、世界に稀なる文化を持つ国だ。いや、国だった。

私たちが知らない江戸「日本を愛した19世紀の米国人画家」が描いた、息遣いすら感じる美しき風景
http://japan.digitaldj-network.com/articles/25212.html

その多くが失われたとはいえ、いまだ残っている美しい風景は数多い。これだけ土建にやられても、私が訪問したアジアの多くの地域よりも、日本の自然はまだ美しいと思う。大都市の高品質さも信じられないほどだ。

これはこれで素晴らしいが、これで埋め尽くすことに意味は無い
何気ない風景の中に、日本。
ここに自由なコミュニケーションを回復させれば、いくらでもルネサンスは起こる。日本は再び発掘され、復活し、創発する。雑居ビルとアスファルトに取り囲まれ、街の一角に剃り残しのようにブンカザイが残るのでなく、再び街そのものが日本となる。日本の国土が、再び日本となる。

アスファルトに取り囲まれ、電線に遮られた寺社。近代の牢獄にも毅然さを失わず、私たちに何かを語りかける。
文化に漲る鼓動は、生きている社会が充填するのだ。恐怖に身が固まり、自分の真実を自棄し、欺瞞を現実と呼んで諦めざるを得ない社会は、生きているとはいえない。そしてそのすべてを原発は持っている。だからインドネシアはそれを却下したのだし、それはその社会が死に魅入られず生きていることの証左でもある。

日本人よりも物質的に豊かとはいえない生活をする人々が、安易な経済行為に逃げずに生きる矜持を示したのだ。日本人がやれない言い訳に逃げることなど、できないはずだ。

動物や野蛮人を卒業する時が来たのだ。振り回されて失われた、自らの生を取り戻すことで、自分たちの社会も取り戻す。少なくともその回路を開くことは可能だと、アジアの同胞は示したのだ。



(了)
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